十年前から電話がかかってきた

ある日突然、10年前の時代に電話が繋がってしまった。電話の向こうにいるのは10年前、2006年の時代に生きているという少女。「お話聞かせてもらってもいいですか?未来人さん」。そこから始まる、俺と少女の不思議な運命の物語――(おうまがタイムズ)
1
「もしもし」
俺がそう言うと同時に携帯の向こう側からも同じ言葉が聞こえた。
「あっ、すみません。あの、どちら様でしょうか?」
携帯から聞こえる女性の声は続けてそう言った。



2
どちら様とはどういうことだろうか?
確か俺は、見知らぬ番号からかかってきた電話に出ただけのはずだ。こういう時は普通、名乗るのは電話をかけてきたほうのはずだろ?



4
俺は、思ったことをそのまま電話の向こうの女性に伝えた。
「何を言ってるんですか? わたしは電話が鳴ったから出ただけです。あなたが電話をかけてきたんですよね?」
「いや、俺こそ電話がかかってきたから出ただけだ。そっちが電話をかけてきたんだろ?」



5
そこからはどちらが電話をかけたかの言い合いが堂々巡りし、とりあえず携帯の故障ということで話は落ち着いた。


6
「でもこの携帯買ってもらったばっかだったんですけどねー、こんなすぐ壊れちゃたのかな?」
電話の向こうの女性は少し悲しそうな声でそう言った。
「よくわからないけど、何かの不具合だと思うよ。壊れたってわけじゃないんじゃないかな」
「そうですか、なら良かった。テストで頑張ってやっと買ってもらったんですよ」
テストで頑張って、か、小学生くらいかな。
そう思って聞いてみると意外な答えが返ってきた。



7
「失礼ですねー れっきとした高校生ですよ。16歳です。花の女子高生です」
「そうか、悪かった。同い年だな。だけど今時珍しいな、今まで携帯を持ってなかったなんてさ」
確かこの前、高校生のスマホ所持率99パーセントという記事をどっかで見た記憶がある。
そんな時代に携帯も持ってなかったなんて相当なレアケースのはずだ。
「そうですか? クラスでも持っている人半分くらいですけど。そんなに珍しくないと思いますよ」



8
99パーセントのうちの1パーセントが、彼女のクラスに半分もいるとなると、彼女が住んでいるのは相当な田舎とか離島なんかだろうか。
そう聞くと、また意外な答えが返ってきた。



10
どうやら彼女が住んでいるのは俺と同じ地域らしい。さらに、通っている学校は俺の通う高校と同じ名前の高校だった。
俺が住んでいる場所は、大都会というわけではないが、田舎と呼ぶような場所ではないはずだ。
そもそも俺のクラスの携帯所持率は100パーセントだしな。
そんな場所で携帯を持っているのがクラスの半分なんて考えられなかった。



11
「いや、さすがに嘘だろ? 今時、マサイ族だって携帯を持っている時代だぞ?」
そう聞くと、電話の向こうから笑い声が聞こえた。
「マサイ族って、あの目がすごいいい人達ですよね? 嘘ですよ、あの人達が携帯を持っているなんて。エイプリルフールだからって騙されませんよ?」



12
「嘘じゃないよ。そっちこそエイプリルフールだろ? 俺と同じ場所に住んでて、携帯所持率50パーセントなんてさ?」
「嘘じゃありませんよ。そもそも私が嘘つく理由なんてないじゃないですか」
「いや、でもやっぱりありえないだろ。この2016年にクラスで携帯を持っているのが半分だけとかさ。小学生だって携帯を持ってるんだよ?」



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「2016年?」
彼女は不思議そうな声でそう聞き返してきた。
「ああ、それがどうしたんだ?」
「何言ってるんですか? 今は2006年ですよ? あなた、エイプリルフール大好きすぎませんか?」
「は?」
笑いながらそう言う彼女に、反射的に声を出していた。



15
声の調子を整えて俺は話し出す。
「何言ってるんだ、今は2016年だろ? そっちこそエイプリルフールが大好きなんだな」
「だから、そういうのいいですって。そもそもエイプリルフールって午前中だけらしいですよ。今、嘘つくのはルール違反です」
「もういいって、午前中だけだろ? 知ってるよ。嘘はもういいからさ」
「だから、もういいですって……」



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そこからはまた、さっきのように言い合いが続いた。
三分くらい経った頃には、彼女のは不機嫌さを全く隠さなくなっていた。
「もういいですよ、エイプリルフールのいたずら電話だったんですよね? なかなか手が込んでると思いますよ」
ここまで言い争っておいて言うのもなんだが、俺には彼女は嘘を言ってないように思えた。
少なくとも彼女の声には嘘があるようには感じられなかったんだ。



17
だから一つ試してみることにした。
「わかった、そっちは今何時だ?」
「19時28分ですけど、それがどうしたんですか? 嘘つきさん?」
この汚名を返上するためにもと、俺は一つ予言をする。
「ちょうどよかった、今から一分後小さな地震が起こるはずだ。もしこれで地震が起きたら、俺が未来から電話をかけている証明になるだろ?」
「まぁ、そうですね、揺れたらの話ですが」
彼女の声からは俺を信じている可能性が1パーセントも感じられなかった。



18
「揺れませんでしたね、嘘つきさん」
一分間沈黙が続き、時計の針が19時29分を指した頃、彼女の呆れた声で静寂は破られた。
揺れなかった、彼女がそう言った瞬間、俺は彼女のことを信じるしかなくなっていた。



19
「私、少し本当に揺れるのかなとか思ってたのに、結局嘘つきさんは嘘つきさんでしたね」
「ああ、悪い、嘘をついていた」
「知ってますよ、結局揺れませ――」
「違うそうじゃない、確かに俺は嘘をついていた。
地震なんか本当は起きてないんだ。もし君が揺れたと言ったら、君が2006年にいるというのは嘘ということになる。それを確かめたくて嘘をついたんだ。でも君は揺れなかったと言った。あの短い時間で地震があったかどうかを調べるのは不可能だろう。
つまり君は本当に2006年にいるってことだ。信じるよ」



21
「いい加減にしてくれませんか? 言い訳が過ぎますよ、そんなんで騙されるわけないでしょ?」
その声は今日一番の不機嫌な声だった。
彼女とはまだ少ししか話してないけど、この一ヶ月くらいで、一番彼女を不機嫌にさせたのは俺だろうね。自負するよ。



22
ただ、そんなことを言っている場合でもなかった。
彼女は今にも電話を切りそうだったからさ。
だから、電話を切られる前に、さっきの1分の間にパソコンで調べたことを、予言する。



23
「ありがとう。じゃあ予言する。そっちで最近起きた通り魔事件があるだろ? その犯人が五分後、19時35分に捕まるはずだ。テレビのニュース速報でも見てくれればわかると思う」
「ふぅん」
彼女は早く終わらせたいと思っているのか、それだけ言うと、黙って5分間一言も喋らなかった。



24
「お話、聞かせてもらってもいいですか? 未来人さん」
19時35分、彼女は震えた声でそう切り出した。
俺の汚名が返上されているということは、つまりそういうことなんだろう。



25
「どうやら当たってみたいだな、予言」
「そうですね、残念ながら」
「残念ってことはないだろ? むしろ俺たちはすごい体験をしているんだからさ」
「それでも、信じられません。いや、信じてないわけではないんです。でも信じられません」
彼女はだいぶ混乱しているようだ。
「詩人だな」
「ふざけないでください。一体どういうことなんですか? 2016年って何ですか? わけがわかりません」



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「俺だってわからないよ。さっき言った通り、電話が鳴ったからでたら君につながった。わけがわからないよ、ホントさ」
「じゃあ何でそんな冷静なんですか? おかしいでしょ、普通もっと取り乱しますよ」
彼女は取り乱した声でそう言った。
俺も普通こうなるはずなんだろう。
でも彼女の言う通り、俺は不思議と冷静だった。



28
「何でだろうな。未来人の余裕とかじゃないか」
「どういうことですか?」
「ほら、未来から電話がかかってきたとなると驚くけどさ、過去からだとそこまででもなくないか? なんとなくさ」
「意味がわかりません。普通どっちでも驚きます」
ごもっともだ。
でも自分自身でもわからないんだからしょうがない。
想定外すぎることが起こると、人間は案外冷静でいられるのかもしれないな。
「とにかくお互い何かわかってることを話しましょう。こうなった心当たりとか何かありませんか?」



29
そこからいろいろ話したが、結局原因らしい原因は見つからなかった。
「とりあえず、今日はもう遅いですしまた明日電話します。多分もう一度かけられますよね?」
「ああ、さっきもつながったし大丈夫なんじゃないか?」
さっき話している時に間違えて俺が電話を切ってしまったが、着信履歴からかけ直すとまた2006年の彼女につながった。
だからきっと大丈夫だろう。



30
「そうですね、じゃあまた明日」
「また明日」
俺が言い終わる頃には電話はもう切れていた。



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そのあとは時間も遅く、疲れていたのもあって布団に入るとすぐ眠りに落ちた。


32


「冒険しようぜ!」
朝、携帯の鳴る音で目が覚め、彼女かなと思って出たら、聞こえてきたのはよく知る男の声だった。



33
「意味がわからないんだけど」
「だから、冒険しようってことだよ。楽しそうだろ?」
「いい加減、わかるように話してくれないかな? 桐島」
「だから冒険だって」
いつまでも、話さない桐島に俺はだんだんイラついてきた。
「もう、切るね。じゃあ」
「待って、待てって。ちゃんと話すから」
「最初からそうしてくれないかな?」
「悪かったって」



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桐島はいつものようなお気楽そうな声で、『冒険』とやらのことを話し始めた。
「冒険っていうのはな、宝探しのことだ」
「抽象的な表現がまた別の抽象的な表現になっただけなんだけど? もっと具体的に話してくれないかな? 」
正直もう、いい加減にして欲しかった。



35
「そうだな、具体的に言うとタイムカプセル探しだな」
「タイムカプセル?」
「そうだ」
「タイムカプセルなんて埋めた覚えないんだけど?」
言葉の通り、そんな青春の塊みたいなものを埋めた覚えは一切なかった。
「ああ、俺もないぞ」
きっぱり言い切るその姿はいっそ清々しかったが、本格的にわけがわからなくなってきた。



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「お前大丈夫か? 埋めてもないタイムカプセルを探せるわけないだろ?」
至極まっとうな意見のはずだ。
埋めてもないものは掘り出せない。
「俺たちじゃなくて、昔の卒業生が埋めたらしいんだよ。それを掘ろうってことだ、わかっただろ?」
「もっとわからなくなったな。なんで他の人が埋めたタイムカプセルを俺たちが掘るんだよ?」
俺はわからないを何回言えばいいんだろうか?『わからない』がゲシュタルト崩壊しそうだ。



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「実はさ、今年タイムカプセルを埋めて10年たったから掘り出す予定だったらしいんだ。でも、人数が全然集まりそうになかったから中止になったらしい。それを俺たちが掘り出そうってことだ」
「だからなんでそうなるんだよ? 俺たちにはそのタイムカプセルになんの思い出もないだろ? そもそも何でお前そんなことを知ってるんだ?」



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「櫻子ちゃんに聞いたんだよ。昔タイムカプセルをうめたってな。あの人うちの学校の卒業生らしいぞ」
「櫻子ちゃん? 誰?」
聞いたことない名前が桐島の口から出ていた。
さっきから俺の言葉には何回クエスチョンマークが使われているんだろうか?



39
「お前知らないのか? うちの学校の音楽の先生だよ。すごいかわいいって有名だぞ」
「知らないよそんなの、音楽の授業とってないし。そもそも、お前も選択音楽じゃないだろ?」
受けてない授業の教師になんて知ってるわけがない。そもそも俺は、隣のクラスの担任の名前すら知らない。



40
「俺は、かわいい人のことは誰だって知ってるんだよ。まぁ、俺だってことを抜きにしても、あの人は結構有名だぞ。知らないお前の方が珍しいからな」
「あっそ」
もう俺はこの話から興味を失っていた。
つまるところ、桐島の目的はそのタイムカプセルを掘り出して、その人の機嫌を取ろうというところなんだろう。
そんなことに、貴重な春休みを割くつもりは一切なかった。
その旨を桐島に伝え「一人でやれよ」と言って電話をきろうとした。



41
「待てって、櫻子ちゃんのこと知らないならちょうどいいじゃん。これを機会に仲良くなろうぜ」
調子のいい桐島の声が聞こえた。



43
「仲良くなりたいのはお前だけだろ。俺は一切興味ないから。だから一人で頑張れ」
「わかったよ。後で後悔しても知らないからな」
「絶対にないな」
そう言うと今度こそ電話をきった。



44
しかし、あいつもよくやるよなと思う。
その先生がどんだけ綺麗なのかは知らないが、あいつのルックスや性格だったら、別にその先生じゃなくてもたくさん相手がいるだろう。
唯一の問題は自由奔放なところくらいかな。
あれだけにはついていけない人がいるかもしれない。



45
まぁ、そんなことはどうでもいいか。
俺にだってやることはあるからな。
やることといってもただ髪を切りに行くだけだけど、それでも他人のタイムカプセル掘りよりは有意義なことだろう。




47
そういうわけで、髪を切るために美容院まで来た。
ここは床屋というよりは美容院というべきところだろう。
誤解しないでほしいんだけど、別におしゃれに気を使ってるとかじゃないよ。
ただ子供の頃から髪を切る場所を変えてないだけだ。
そこだけはわかっておいてほしい。



48
「いらっしゃいませー、カット?」
見知った顔の店員が聞いてくる。
「はい」
「じゃあいつも通り美咲ちゃんでいいよね?」
「はい」
「オッケー、じゃあちょっと待ってて」
美咲とは四年くらい前からこの店で働いている店員のことで、最近はずっとこの人に切ってもらってる。



49
十分くらいで美咲さんの手はあいたようで、席に案内された。
「今日はどうする?」
席に着くと早々、美咲さんは美容師の定型句を口にした。
どうすると聞かれても、さっき言った通りこだわりなんか持ち合わせてないので「いつも通りで」と答えた。
ちょっと思ったんだけど、『いつも通り』ってなんかこそばゆい感じがしない?
ほら、バーで「いつもの」とか「あの女性に一杯」って言ってるみたいで、恥ずかしいよね。
まぁ、どうでもいいんだけど。



50
「君、いつも同じこと言うよね。たまには冒険しようよ」
美咲さんはいつも通りに少し不満なのか、どこかで聞いたようなことを言ってきた。
だけど、一日に二回も「冒険しよう」って言われると思わなかったよ。
まだ昼過ぎなんだけどね、もしかしたらまた別の人に言われるかもしれないな。



51
「安心とか安全を好むんですよ、俺みたいなのは」
「つまらないなー、まぁ、いいや。お客様の仰せのままに」
少し笑う美咲さんの顔が鏡越しに見えた。
「それでお願いします」



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そうして、俺の髪が切られ始めた。
美容師ってすごい話しかけてくる人と、あんまり話しかけてこない人がいると思うんだけど、美咲さんは話しかけてくる方のタイプだった。
俺は本来、どっちのタイプも苦手なんだ。
話しかけてくる人は面倒くさいし、かといって話しかけてこないと気まずくて鏡と自問自答したりしちゃうし、要するにすごい面倒くさい人間なんだけど、でも、美咲さんには何故か話しかけられても平気だった。



53
もちろん初めて切ってもらった時からたくさん話せたわけじゃないけど、それでも他の人よりは全然大丈夫だった。
それで、何回か通っているうちに普通に話せるようになってた。



54
なんでだろうか? 別に好きとかじゃないんだ。
ただ、一緒にいるとなんか心地いい感じがする。
美容師の究極のテクニックかもしれない。
桐島も同じような能力を持っている気もするけどな。




55
「いや、それ絶対好きですよね?」
もう何度目だろうか? 彼女の口から同じ言葉が繰り返される。
「だからそういうのじゃないって言ってるだろ」
俺が何度否定しても彼女は引かなかった。
「いや絶対好きでしょ」
「だから……」



56
とりあえず、なんでこんなことになっているか説明しよっか。
まず、あの後髪を切り終えて家に帰った。
その後はいつも通り適当に過ごして、夜になると約束通り彼女から電話がかかってきた。



58
最初は過去(未来)につながった電話の謎について割と真剣に話し合ってたんだ。
でも、いくら話しても結局思い当たる節もなくてだんだん話が脱線していき、気づくと今日あったことをお互いにはなしてた。



59
その流れの中で美咲さんのことを話した結果、俺は彼女に何回も「好きですよね?」と聞かれ続けられてるわけだ。


60
「好きですよね? 絶対好きですよね?」
「だから違うって。そんなこと言うなら君だって磯崎先輩って人のこと好きだろ?」
磯崎先輩とは、彼女と話している時に何回か出てきた人で、この人のことを話している時の彼女はどことなく嬉しそうだった気がした。
しつこい彼女への俺なりの反撃だ。



61
「はい、好きですよ。言ってませんでしたっけ?」
何故だろうか?
俺の予定では今頃、好きな人を指摘されて慌てふためく彼女の声が聞こえるはずだった。
それなのに、実際に聞こえるのはすましたようにあっさり認める彼女の声で、何故か動揺しているのは俺の方だ。



63
「それより今、『君だって好きだろ』って言いましたよね。それってつまり、自分も好きってことですよね?」
彼女がさらに追い討ちをかけてきた。
こんなひどいこと人間にできるとは思えないよ。
彼女がこんな風にあっさり認めたのに、俺だけ必氏になって否定するのは負けたみたいで嫌だった。
いや、実際こんなこと思わされてる時点で負けてるんだろうけどさ。



64
「そうだな、普通の人はこの感情を恋と呼ぶのかもな」
「すごい面倒くさい言い回ししますね。というか面倒くさい人ですね」
自分でだってそんなことわかってる。
そもそも、元々誰かを好きとか恥ずかしいことを言わなきゃいけないんだから、言い回しが恥ずかしくたって大して変わらないだろ。



65
「でも、とりあえず好きってことですよね。そうですか」
多分、彼女はニヤニヤしてるんだろうな。
結局負けた気がするよ。



66
「それで告白とかしないんですか?」
「なぁ、もういいだろ。この話やめにしようよ」
これ以上話を続けたら本当にいたたまれなくなる。
「えー、いいじゃないですか。女の子は恋バナが好きなんですよ」
「そんなに言うなら、そっちこそどうなんだよ。告白とかしないわけ?」
言い終わってから気づいたけど、これはマズイな。
完全にさっきと同じパターンだ。



67
「したいですけど……怖いじゃないですか」
彼女の声は急に弱々しくなっていた。
「意外だな。怖いとか思うんだ君でも」
てっきりまたさっきみたいにあっさり言われると思っていたので驚いた。
「ひどいですね。なんだと思ってるんですか私のこと」
「人の痛いところをついてくる悪魔?」
「なんですかそれ、むしろ天使でしょ」
「それはないな」
「あー、今のは傷ついたなー」
彼女の声はまた今までの明るい声に戻っていた。



68
「わかりました。じゃあ、こうしましょう。私は女の子の目線であなたの相談に乗ります。その代わりあなたは男の子目線で私の相談にのってください。そして二人で告白を成功させましょう」
彼女の声は「いいアイデアでしょ?」とでもいうように自信満々だった。
こんなにコロコロ声の調子が変わるなら、表情はもっとコロコロ変わるんだろうな。
「どうですか、これなら天使でしょ? 恋のキューピッドになってあげますよ」



69
「なんでそうなるの? 俺、一言も告白したいなんて言ってないんだけど?」
「しないんですか? しないと何も始まりませんけど?」
その言葉に俺は少しドキッとした。
なんでさっきまでふざけてたくせに、急に本質をつくようなことを言うんだろうか?
苦手だ、こういうタイプは。



70
「わかったよ。よろしくお願いします、天使さん」
少しふざけて言ったのは精一杯の強がりだ。
本当はそんな余裕なんてどこにもないのにさ。
「決まりですね。『さくらんぼ作戦』始動です」
「さくらんぼ? 何それ?」
「知らないんですか? 大塚 愛」
「知ってるけど。古くない?」
「二年くらい前ですかね」
そういえば、彼女は十年前にいるんだったな。くだらない話をしすぎて忘れてた。



71
「好きなの? 大塚 愛」
「まぁ、それなりには。それに『さくら』は私にとって特別なんです」
「どういうこと?」
「秘密です。女の子に秘密はつきものでしょ?」
ただの想像なんだけどさ、きっと彼女は今人差し指を口に当ててると思うんだよね。
得意げな顔でさ。
うん、絶対そうだと思う。



73
「それより、2016年ってどんな曲が流行ってるんですか? すごい気になるんですよね」
「昨日も言ったけどさ、そういうのは言っちゃうのマズいだろ? ほら、歴史とか変わっちゃたら困るでしょ?」
だから俺たちは名前すら名乗らないまま恋愛話までしているわけで、よくよく考えるとかなり変な状況だな。
「えー、ケチ。少しくらいいいじゃないですか」
「ダメだって。そうだ、そっちはどんなのが流行ってるの? 音楽だけじゃなくて、他にもいろいろ」



74
「うーん、そうですね、さっきも言いましたけど、大塚愛だったら『プラネタリウム』ですよね。『さくら』だったらケツメイシかな。あとは『粉雪』とか『青春アミーゴ』ですかね」
聴いたことある曲がたくさん並べられた。
「音楽以外だったら、『オリラジ』が最近ノッてますね。ドラマは『1リットルの涙』ですね。後『電車男』も」
彼女は次々と懐かしい言葉を羅列していった。
懐かしい言葉のオンパレードだな。
彼女と話してるとタイムスリップしてるみたいだよ。
まぁ、半分してるようなもんだけどさ。



75
「あー、あと、あれも好きです。ほら、なんかアニメの、『一万年と二千年前から愛してる』ってやつ。なんでしたっけ?」
「『創世のアクエリオン』?」
「それです、なんかいいですよね響きが」



76
「なんか、すごい懐かしい気持ちになれたよ。ありがとう」
「そうですか、だったらそっちのことも少しくらい教えてくれてもいいと思うんですけどね」
また勝手な想像だけど、今度はきっと口をとがらせていると思うな。
「そうだな、じゃあ一つだけ、『PERFECT HUMAN』を覚えておくといいよ」
これだったら歴史に影響はそれほどないだろうし、言っても問題ないだろう。
「なんですか? それ。完璧人間?」
「うん、完璧人間。覚えといて」
「わかりました」
彼女は不思議そうな声で応じた。



77
そんな話をしているうちに時間は過ぎていき、もう今日は遅くなってしまったので、続きは明日にすることになった。


79


「まず、あなたは二つのハンデを背負っていることを理解してください」
「ハンデ?」
次の日、夜になったので彼女に電話すると、『さくらんぼ作戦』の恋愛講義が始まった。
「はい。まず、その美容師さんとあなたが会うときはどんなときですか?」
「どんなって、髪を切りに行った時だろ?」
美容師なんだから当然といえば当然だ。
「それが一つ目のハンデです」
「なんで? むしろ、会う理由があるんだからいい方のハンデじゃないか?」
世の中には好きな人と会う理由を必死で考えている人なんてごまんといるしな。
そう考えたら、会う理由が簡単につくれるのはプラスなはずだ。



80
「あなたが髪を切るときは、言い換えればその美容師さんが仕事中のときということです。仕事が絡むと恋愛は難しくなると言われているのを知っていますか?
仕事中は頭がそっちに集中していて、異性のことを深く意識しないようになるからです。
美容師のような技術職では尚更そうなります」
確かにそうかもしれないと思ったが、これくらいなら別にたいした問題じゃ――
「『たいした問題じゃない』そう思いましたか?」
俺の思考を先読みしたかのように彼女は口にした。



81
「そうですね、確かにこれはそこまで大きな問題ではありません。大事なのはもう一つの方です」
もう一つの問題。
それは、多分俺もわかっていた。
俺と美咲さんの間にある大きな壁。



82
「もう一つのハンデは、年齢です。あなたは学生で、美容師さんは働いている。同じ学生の私が言うことじゃないかもしれませんが、社会人と学生では価値観も話題も時間だって違います。一つ一つは小さな違いでもそれがたくさんになれば、それは埋められない差になります。
これを埋めるのは相当難しいことだと思います」
年齢、それが大きな障害になることはわかっていた。
仕事中だとかそんなことは頑張ればなんとかなるんだろう。
だけど、年齢の差はどう頑張ったって埋められない。
俺が歳をとることも、美咲さんが若返ることも絶対にできない。



83
「要するに望みはほぼゼロってことだな……」
そうだ、最初からわかってたんだ。
それなのに彼女と話して、もしかしたらと思ってしまった。
そんなわけないのに。



84
「無理だってわかってたはずなのにな、ちょっと舞い上がってたみたいだ…… もう、終わりにしよう。そっちの話聞くよ、磯崎先輩だっけ?」
「なんでですか?」
彼女はさすような声で聞いてきた。
「あれ、磯崎じゃなかったっけ?」
確か磯崎だったはずなんだけど、記憶力にはわりと自信がある方なんだ。
「そうじゃなくて、なんで諦めるんですか?」



85
「なんでって…… 君も言ってたろ、難しいってさ。結局、最初から無理だったんだよ。俺とあの人には違いが多すぎる。君の言う通りだよ」
そう、わかってた。
「それだけで諦めちゃうんですか?」
「十分だろ、不可能に近いんだ。普通なら諦める」
「不可能に近いだけで不可能ではないですよね?」
彼女の言葉の一つ一つが俺の心に刺さった。
諦めたくない俺の心を刺激した。
だからそれを認めないために、彼女の言葉を必死で否定する。
「そんなの詭弁だろ。世の中無理なものは無理なんだ」



86
「たとえそれがどんなに難しくても諦める理由にはなりません」
彼女ははっきりとした声でそう言った。
俺は昨日まで、彼女は天然でこういう本質を突くようなことを言っているのだと思っていた。
でも、今わかった。
彼女はわかってて言ってるんだ。
俺がいま諦めたら絶対後悔すると、俺が本当は諦めたくないと、全部わかってて言ってるんだ。
現に俺は彼女と話してまた、諦めたくないと思わされている。



87
「それで、どうしますか? 『さくらんぼ作戦』やめますか? 続けますか?」
少し時間をおいて彼女は聞いてきた。
俺の返事はもう一つしかなかった。
「続けるよ、『さくらんぼ作戦』」
「わかりました。これからもよろしくお願いします」
その声はさっきまでのさすような声と打って変わって明るいものになっていた。



88
「まず一つ目の問題ですが、これはまあ簡単ですね。美容院以外で会う理由を作りましょう。どこかでばったり会ったとかそんな感じで」
「それ、ストーカーしろってことか?」
「人聞き悪いですねー、別にそういう意味じゃないですよ。ただ、ちょっとつけてみたりするだけです」
「それをストーカーっていうんだよ」
さすがに犯罪者にはなりたくない。



89
「じゃあ、お店から帰るときにたまたま会ったとかでいいんじゃないですか」
それなら少しは犯罪臭は減ったが、それでもまだグレーゾーンだ。
「とにかく、重要なのはそっちじゃありません。もう一つの方をしっかり考えないと」



90
恋愛講義はそれから二時間ほど続き、「じゃあ今日はここら辺で」という彼女の合図で終わりを迎えた。
彼女の講義は本当の講義みたいで、学校で授業を受けているような気分だったよ。



91
「そういえば、結局そっちの話を聞けてないけどいいのか?」
この二時間、俺の方の話ばかりで、磯崎先輩の話は一切できなかった。
「はい、そっちは私がなにか聞きたいことがあったら聞くので大丈夫です」
「それならいいけど」
俺には彼女みたいに誰かに教える技術なんてないので、正直助かった。



92
「また、明日」といつもの言葉を言って電話を切ると、そのまま眠りについた。


93


「助けて!」
午前二時、携帯の着信音で起こされ、耳に当てると彼女の大きな焦った声が聞こえた。
どうしたのかと急いで聞いても返事はなく、しばらく息切れのような音だけが響いた。



95
「すみません、夜遅くに」
少しするとまだ多少息は荒かったが、さっきよりは落ち着いた声で彼女が話した。
「大丈夫か? どうしたんだ?」
彼女のあんなに焦った声は初めて聞いた。
いったい何があったのか、そう思って聞くと、
「いや、あの……で……すね」
彼女は言いにくそうに口ごもった。



97
「実は…… 電話を切った後、テレビを見てたら心霊特集やってまして、それでそれを見た後寝たら夢を見まして、 それがすごくて怖くて、それで今日は親が出かけてまして、いなくて、怖くて、
その…… 誰かいないかなと思ったら、あなたが思い浮かびまして…… 電話しちゃいました」
さっきまでの講義のスラスラとした話し方からは想像もつかないほど、しどろもどろといった感じでそんなことを話すので、思わず笑ってしまった。



98
「ひどくないですか、こっちは本当に怖くて……」
「いやごめん、なんかあれだよね、君ってさ、話すたびにイメージが変わるんだよね」
笑ったり、怒ったり、不安そうだったり、からかってきたり、彼女は本当にいろんな顔を見せてくる。
顔を見たことないのにおかしな話だけどさ。



99
「バカにしてます?」
そう聞く彼女の声も、泣きと怒りが混ざったような声で、またおかしくなる。
「いや、違うよ。ただ君に会ってみたいなと思ってさ。電話じゃなくて、実際に会って話してみたいなって」
彼女がどんな顔で、どんな風に笑うのか、どんな風に怒るのか、どんな風に泣くのか見てみたい。そう思った。
「私もあなたに会ってみたいですね。まぁ、そんなこといってもしょうがないんですけどね」



100
「それで、その…… もう少しだけ……」
彼女はまた口ごもりながら小さな声を出した。
それが何を意味するのかなんとなくわかったから、今日は少しだけ優しくなろうと思う。
「ああ、わかってる。そっちが切るまで電話してていいから、少し話そっか」
「ありがとうございます」
彼女は少し驚いたようだった。
俺が優しいのはそんなに珍しいんだろうか。
まぁ、それでもいいか。



101
その後、いろんな話をした。
その話の中でも彼女はまたいろんな顔を見せてくれた。
本当に会ってみたいなと思うよ。



102
結局、俺たちは朝まで話し続けた。
途中からはきっと、怖いとかそういうのは忘れてただ話したいから話してたと思う。
俺の勝手な想像だけどね。



103


それから、毎晩彼女に電話をかけて恋愛講義を受けた。
そして初めて電話が繋がってから八日がたったある日、彼女がついに決定的な言葉を口にした。



104
「明日、告白しましょう」
満を持してというような感じでされたその提案に俺はただ従った。



105
「いよいよだな」
「はい、私は明日から学校が始まるので先輩に会えますし、あなたは明日が春休み最後の日です。決着をつけるなら明日が一番です」
「そうだな」
ただ、バカみたいに肯定した。



106
「どうしました? 声、暗いですよ。怖いんですか?」
ふざけたふりをして彼女が聞いてくる。
「うん、怖いよ。君もだろ?」
「そうですね、怖いです」
わかってる、お互い怖いんだ。
断られたら、気まずくなったら、覚悟は決まっててもやっぱり怖いものは怖い。



107
「そう、怖いです…… 一人だったら多分決心できなかったと思います。でも、あなたがいたから、あなたが一緒だから、だから大丈夫です」
彼女はしっかりした声でそう言った。
いや、言ってくれた。
そしてそれは俺も……



108
「ああ、俺も一緒だ。君がいたから、君のおかげで決められた。本当にありがとう」
そうだ、彼女だから俺は前に進もうと思った。
彼女じゃなきゃ多分ダメだった。
だから、これは本心。
ただ、心からの感謝。
他意は、ない。



109
「なんか照れますね。でも、私もです。ありがとうございます」
一人じゃないから、二人だから、だから前に進める。
それはきっと、とても尊いことなんだろう。



110
「そうだ、こういうとき何て言うかわかりますか?」
そろそろ電話を切ろうかという雰囲気になったとき、彼女が聞いてきた。



111
「ああ、わかるよ、多分」
うん、何となくわかる。
かといってそれを恥ずかしげもなく、平気で言えるほど俺の心は強くないわけだけど。
まあ、でも彼女だからいいか。
俺たちの勝負前夜にはこの言葉が一番なんだろうしな。



112
「そうですか、じゃあ」
彼女のこの声を合図に二つの声が重なった。
「健闘を祈る」
そうして電話が切られた。



113


眠れない。
電話を切ってからかなり経ったけど一向に眠れる気がしなかった。
やっぱり不安なんだろうか?



114
気分転換に外の空気を吸いに出ることにした。
夜の街はとても静かで、今のぐちゃぐちゃした気持ちを全部受け入れてくれるような気分だ。
草木も眠る丑三つ時って言うけどさ、本当に幽霊でも出そうなくらい静かで真っ暗だよ。
まあ、今は幽霊でもいいから出てきて、話し相手になって欲しいけどな。
いや、本当に話したいのは……



115
俺の思考を遮るように、違うな、心を見透かすかのように携帯が鳴った。
彼女からだ。
俺はこの電話に出ていいんだろうか?
もし出たら……



116
結局出ることにした。
出るしかなかった。
そうだ、仕方がないんだ。
何を悩むことがある。
ただ電話に出るだけだ。
それだけだ……



117
「どうした? また幽霊でもでたの――」
茶化そうとして口を止める。
どうもおかしい。
電話の奥からすすり泣くような声が聞こえてききた。



118
「おい、どうした? 今どこにいるんだ?」
「……う……み」
彼女はこの夜の街に消え入ってしまうんじゃないかと思うほど、小さな声を出した。



119
ここら辺で海といったらあそこしかない。
俺はもう走っていた。
何も考えずにただ走っていた。



120
何をやってるんだろう、俺は。
たとえついたって彼女はそこにはいないんだ。
もっとずっと遠くにいる。
絶対に超えられない時間の壁の向こうにいる。
走る意味なんかないんだ。
それなのに、それなのに俺は走っている。
何をしてるんだ。



121
結局、俺は走るしかなかった。
夜の街に俺の足音だけが響いた。



122


夜の海もまた静かで、波の音だけが聞こえる。
その凛とした静けさは、心地よさと同時に恐怖も感じさせた。

「ついたよ、海。何してるんだろうな、ここに来たって君はいないのにさ。だけどさ、綺麗だね、海。それだけで、来て良かったかも」
「私の……お気に入りの場所です……」
彼女は涙交じりで、途切れ途切れの声を出した。



123
「俺、夜の海って初めてなんだ。なんかいいよな、上手く言えないけどさ。なんかいい」
「なんですか……それ」
彼女はクスッという小さい笑みをこぼした。



124
「……聞かないんですか?……何があったか」
少しの沈黙の後、彼女はまた、吐息のような声で聞いてきた。
「いいよ、別に。でも、話していいと思ったなら話して欲しい。無理だったらいいんだ。俺はいつまでも待つよ」
少しして彼女の泣く声がまた聞こえた。
さっきよりずっと大きく、隠す気は一切ないような泣き声が。
俺はその声が止むまでただ待った。
ひたすら待ち続けた。
なんて言ったらかっこいいかもしれないけどさ、本当は何もできなかったって言った方が正しいんだ。
待つことしかできなかった、ってさ。



125
「私、歌手になりたいんです」
「え?」
泣き止んだ彼女の言葉は、俺の予想を全部壊すほどの予想外の言葉だった。



126
「歌手って、歌手? 歌を歌う人?」
思わず意味のわからないことを言ってしまった。
「はい、知らないんですか? 歌手」
「知ってるけどさ、少し意外だなと思って」
本当はかなり意外だ。



127
「だけど、それがどうしたんだ?」
それが泣いてた理由なのか?
よくわからなかった。



128
「歌手になりたいってまだ誰にも言えてなかったんです。自分にできるかどうかわからないから秘密にしてました。
でも、最近あなたと話しているうちに勇気がでてきて、それで、さっき電話を切った後、初めて親に言ったんです。歌手になりたいって。そしたら『現実を見ろ』って言われちゃいました。ありきたりな言葉ですよね。話も聞いてくれませんでした」



129
「それがすごい悲しくて、どうしていいかわからなくて、気づいたら家を飛び出してました。それでここに来て、それでも悲しいのは全然変わらなくて、今度はあなたに電話してました。本当に迷惑ですよね、ごめんなさい」


130
「でも、あなたに話したらスッキリしました。本当にありがとうございます。人に話すとキッパリ諦めがつくものなんですね。家、帰ります。本当にありがとうございました」
彼女は一人で話して、一人で完結しようとしていた。
そんなのは納得いかない。



131
「待って! 諦めるの?」
気づいたら声を出していた。
「ええ、結局、最初から無理だったんですよ」
どっかで聞いたようなことを彼女は言う。
「君はそれでいいの?」
「よくないですよ、でもしょうがないんです。好きな人と結ばれる何倍も難しいことなんですよ? 不可能なんですよ」



132
「たとえそれがどんなに難しくても諦める理由にはならないよ」
何偉そうに言ってるんだろうな。
でも俺にはわかる、彼女の本当の気持ちが聞こえる。
だから俺はこの言葉を使うんだ。



133
「君が言ったことだ。だけどさ、俺は別に諦める理由なんていくらでもあると思うんだ。難しい、不可能、時間、お金、年齢、それこそ掃いて捨てるほどある」
「だったら――」
「だけどさ、諦めたくない理由だっていっぱいあるんだ。たとえどんなに難しくたって、絶対に諦めたくない理由があるだろ?
俺は諦めなくて良かったと思ってるよ。そして俺が諦めなかったのは君のおかげだ。君はどうなの? あるんじゃないの? 絶対に諦めたくない理由がさ。そっちの方が諦める理由より大事なんじゃないの?」



134
「そんなの…… そんなのいくらだってありますよ。小さい頃からなりたかった。誰かに聴いて欲しかった。まだまだ、たくさんあります」
彼女は泣きながらもしっかりとした声でそう言った。
「だったらさ諦めない理由としては十分なんじゃないかな」
彼女はただ泣いていた。
その声は夜の海に吸い込まれていくようだった。



135
「ねぇ、歌ってよ」
「えっ」
「聴きたいんだ、君の歌」
「でも……」
「お願い」
「……わかりました」



136
スッと息を吸う音がして、聞こえてきたのは俺でも知っている曲だった。
かつて、日本中の高校生に愛された曲。



138
ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの
ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌



145
「ブラボー」
「やめてください。初めてだったんですよ、誰かに聴いてもらったの」
「すごい上手だったよ」
言葉の通り、彼女の歌はうまかった。
俺は専門的なことがわかるわけじゃないけど、それでもずっと聴いていたいと思うような歌だった。



146
「好きなの? モンパチ」
「昔、嫌なことがあった時、ラジオから『小さな恋の歌』が流れてきたんです。それを聴いてると不安とかがだんだんなくなって、その時思ったんです、私もこんな風に誰かに届く歌を歌いたいって」
「だったらそれは成功したな。今、俺の心に確かに届いた」



147
「ずるいですよ、なんでそんな嬉しいこと言ってくれるんですか」
「本心だよ。俺は思ったことを言っただけだ」
「そういうところがずるいんですよ。でも、ありがとうございます。なんか歌ったら、悩んでるのがバカらしくなっちゃいました。私は私のやりたいようにやることにします」
ここ何日かで彼女のいろんな声を聞いてきたけど、やっぱり今みたいな明るい声が一番好きだな。
悲しい声をこの声に変える手伝いが少しでもできたなら良かったんだけど。



148
「じゃあ明日、というより今日ですけど、お互い頑張りましょう。成功を祈ってます」
明日、そうだ明日……
ここまできたんだ、今更気持ちが揺らぐはずないんだ。そう、絶対ないんだ。
だから俺も同じことを言った。「お互い頑張ろう」と。



149
その後家に帰って布団に入ると、彼女の歌声が頭について離れなかった。
それが何を意味するのかを考える勇気は俺にはなく、そのうち意識がぼやけて眠りについた。



150


「あれ、おーい!」
後ろから望んだ声が聞こえたので振り返った。
「やっぱり、君だ。奇遇だね」
美咲さんは少し息を切らして、俺の方まで走ってきた。



151
告白決行日、彼女のレクチャーの通りストーカーギリギリの『美容室の前で待ち伏せ作戦』を実行した。
結果、見事成功し、今、俺の隣には美咲さんがいる。



152
「今、帰りですか?」
わかってるくせに、白々しく聞いてみた。
なかなかの演技力だと思うよ。
彼女が歌手を目指すなら俺は役者にでもなろうかな。
うん、わりといける気がする。



153
「そーだよ。君は?」
「俺は、そこのコンビニまでちょっと。でも大変ですね、こんな遅くまで」
今はもう夜の十時くらいだろうか、学生からしてみればこんな時間まで仕事なのは遅いと感じる。
「うん、店が閉まっても練習とかいろいろあるからね。でも、好きなことやってるんだから、不満はないよ」



154
「いいですねそういうの。俺は自分がやりたいこととか全然わからないんで」
彼女にしても俺と同じ歳でもう歌手になるという夢がある。
美咲さんだって美容師という夢を叶えている。
それに比べたら俺は、何がしたいかと決まらずにふわふわ生きてるだけだ。
急にそんな自分が嫌になってきた。



155
「そんなのこれから決めればいいんだよ。まだ時間はいっぱいあるんだからさ」
「そんなもんですかね」
「そんなもんだよ」
あっさりそんな風に言われると、余計自分の将来が不安になるんだけど。
でも、今はそれより大事なことがあった。



156
それから、他愛もない話をしながら少し歩いて、別れ道に差し掛かった。
「じゃあ、私こっちだから。バイバイ」
「待って!」
その時が近づいてきた。
前に進む時間が。



157
「どうしたの?」
美咲さんはキョトンとした顔で振り向いた。
「あの……」
なかなか続く言葉が口から出ない。
俺は何を戸惑っているんだろうか。



158
彼女のことを思い出せば勇気が出る、彼女の声は背中を押してくれる。
はずだった。
それなのに、彼女のことを思い出せば出すほど言葉を出せずにいる。



159
結局、俺が前に進むことはなかった。
「あの、お仕事頑張ってください。俺の髪を切ってくれる人がいなくなると困るんで」
言いたかった言葉を飲み込むと、適当な言葉が代わりに口からでる。
「うん、ありがと。任せといてよ、君の髪はいつでも私がかっこよくしてあげるからさ」
眩しい笑顔が俺に向けられた。
俺は、その顔を見ることができなかった。



160
「ありがとうございます、それじゃあ」
「バイバイ」
それだけ言うと俺は美咲さんと別れた。
いや、逃げた。
あてもなく逃げた。
昨日とは違い、今日の夜の街は俺を否定しているような気がした。



161


気づくと海にいた。
何をやってるんだ俺は。
その思いだけが頭を駆け巡った。



162
それから逃げるためなのか、無意識に彼女に電話をかけていた。
誰でもいいから話したかった。
違う、嘘だ。彼女と話したかったんだ。
それがさらに自分を傷つけるとしても。



163
コール音が十回を超えても電話は繋がらなかった。
それが彼女が成功したことを意味するなら、俺は喜ばなくちゃいけないはずなんだ。
一緒に前に進もうとした仲間として喜ぶべきなんだ。



164
それなのに俺の心は怪物に荒らされたようにざわついていた。
彼女が一人だけ成功したからじゃない。
多分これはもっと別の話。
許されないであろう一つの思い。



165
俺はいつからこんなに性格が悪くなったんだ。
自分で自分が嫌になる。
なんて言っておけば、まだ大丈夫だと思ってるんだ俺は。
本当は別に嫌になんかなってない。
むしろこの気持ちを正しいものだとさえ思っているのかもしれない。
だから電話をかけようとしているんだ。
そういうところが嫌なんだよ。



166
ただ、そんな心の怪物はおさまることになる。
十五コール目、彼女の声が耳に響いた。
「はい」
その声を聞いた瞬間俺の心は驚くほどに落ち着いた。



167
「こんばんは」
「ああ」
彼女は少し泣いているように思えた。
その涙がどっちの涙かはわからなかった。



189
彼女の告白は成功したのか聞きたいのに、言葉が出なかった。
どんな声で、どんな風に聞けばいいのかわからない。
また怪物が出てきそうだ。



190
「フラれちゃいました。やっぱりうまくいきませんね」
俺が何も言えないでいると、彼女が精一杯取り繕ったかのような声でそう言った。
それを聞いた瞬間、正直に言うと俺は安心したんだ。
心の底からホッとした。
それは最低な感情で、でも怪物はそんな感情でしか去ってはくれなかった。



191
「そっか、俺もだよ。本当難しいよな」
何言ってるんだ俺は。
告白することすらしなかったくせに。
俺にそんなことを言う資格なんかない、彼女と話す資格なんかないんだ。



192
「本当ですね。さくらんぼ作戦失敗です」
「そうだな。こういう時、あいつがいてくれると気持ちが軽くなるんだろうな」
「あいつって、前に行ってたタイムカプセルの人ですか?」
「ああ、あいつならなんとかしてくれる気がするんだ」



193
「そうですか。でも、タイムカプセルって面白そうですよね。私もやってみようかな」
「いいんじゃない。何入れるの?」
「私、日記書いてるんですよ。だから今日のこととか書いて、それを何年かたった時に見て懐かしむんです」
「そっか」



194
なんでもないような話をひたすら続けた。
お互い会話が途切れないように、ずっと話し続けた。
多分、二人とも分かってたんだと思う。
会話が途切れたら何が起こるかを。



195
そしてその時が訪れた。
不思議な沈黙。
今まで焦るように話してたのに、急に静寂が場を支配した。
お互いが探り合い、話し始めようとする。



196
「あのさ」
「あの」
二つの声が重なった。



197
「あー、ごめん。先どうぞ」
「すみません。そちらからどうぞ」
また重なる。
「いいよ。君から話して」
俺は先に話すのが怖くて逃げた。



198
「じゃあ、あの……すみません、私嘘つきました。本当は告白なんかしてません、できませんでした」
なんとなくわかってた。
自分がそうだったからわかるんだ。
あの喋り方、あの雰囲気は前に進めなかった人のものだ。
でも、俺はそれを責めようとは思わない。
いや、責める資格なんかないんだ。
だって俺は、きっと彼女よりもひどい理由で告白ができなかったんだから。



199
「うん、ごめん俺も……俺も告白してない。あと一言、一言だせばいいとこで日和ったんだ。怖くなった。本当、ダメだな」
そうだ、本当に俺はダメなんだ。
彼女に先に話させて、安心してから自分も話す。
そしてその話した内容すら嘘なんだ。
本当はそんな理由なんかじゃない。
でも、それを言おうともしないんだ。
本当にずるい。



200
「あー、やっぱ難しいな。勇気ってそう簡単に出ないよな。失敗したらとか考えちゃうと、怖くて踏み出せない」
「…………」
返事は返ってこなかった。
沈黙は怖い。
だから、俺は話すのをやめなかった。
一人で話し続けた。



201
「あのっ!」
俺の声を遮って彼女が大きな声を出した。
「違うんです……私、違うんです」
「…………」
今度は俺が黙る番だった。
「私が……私が告白できなかった理由は……」
ダメだ。これ以上は聞いたらいけない。
そうわかってるのに、俺に彼女の言葉を止めることはできなかった。



202
「その……先輩に会いに行ったんです。行ったのに、いざって時に、その……あなたの……」
止めなきゃいけないんだ。
でも、やっぱり俺にはその涙交じりの声を遮ることはできなかった。
もしかしたら期待しているのかもしれない。
そんなのはダメなのに。
俺は卑怯だ。



203
「あなたの……あなたのこと思い出して、それで……」
「わかってる! わかってるんだ。ごめん」
もう耐えられなかった。
自分の卑怯さに、ずるさに、汚さに。
そして、自分が満足するために俺はこれからもっと最低なことを言う。
無責任で最低なことを。



204
「ごめん……俺が言わなきゃいけないんだよな。それなのに……それなのに俺は、全部君に言わせて。自分が傷つくのが怖いから、だから、無責任なことは言わないって言い訳して……最低だ」
彼女の泣き声が聞こえた。
これ以上は言っちゃいけないなんてわかってるんだ。
でも、自分を抑えるのはもう無理だった。



205
「俺も一緒だ。告白しようってときに君の声が、君のことが頭に浮かんで、言えなかった。
わかってる、無責任だって。俺は君と同じ時間にいられないのに、それなのに俺は君のことが……」
その先は言えなかった。
言う勇気なんてなかった。



206
「なんでですかね……なんで。今、同じ場所にいるんですよね、私たち。
同じところにいるのに、同じ景色を見ているのに、同じ匂い、同じ音、同じものを感じているのに、それなのに私たちの距離は世界のどこよりも遠い。
こんなに想ってるのに私はあなたと同じ時間を生きられない。私だってわかってます。言っちゃいけないって。想ったらいけないって。でも、私もあなたが……」
彼女もその先を言わなかった。
二人ともわかってるんだ、この気持ちがダメだってことくらい。
同じ時間を生きられないのに、こんな気持ちになったらダメだって。
それでもこの気持ちが消えることはなかった。
彼女との距離は世界で一番近いのに、世界で一番遠かった。



207
もうどうしたらいいかわからない。
彼女になんて言えばいいのかわからなかった。
「ねぇ、いま何が見えますか?」
彼女が突然聞いてきた。
それが何を意味するのかわからなかったけど、それでも俺にはその問いに答える以外の選択肢は浮かばなかった。



208
「何って、海と――」
「桜、ですよね」
確かに桜が見える、海と桜、不思議な光景だ。
「珍しいですよね、海と桜が一緒に見れるの。だからお気に入りの場所なんです。前にも言ったでしょ、『さくら』は私にとって特別だって、その理由わかりますか?」



209
理由、それはきっと、
「名前?」
「正解です。あなたがいま見てる桜、それが私の名前です。多分これから言うのはすごい勝手なことだと思います。でも、少しだけわがまま言ってもいいですか?」
「そんなのいくらだってきくよ」
それが俺にできることならなんだってする。
「じゃあ、桜を見たら少しでいいんです、私のこと思い出してもらえませんか? ほんの少しでいいから私がいたって、春になるたびに、少しだけ私がいたことを思い出して欲しいんです。桜が見える間だけ、私をあなたの心においてください。お願いします」



210
「思い出すよ、何回だって思い出す。少しだけなんかじゃない、もっと、もっと」
うまく話せない。
目には多分涙がにじんでいた。
「ありがとうございます。じゃあ覚えててもらえますか? 私の名前は、さくら――」
彼女が言い終わる前に、ツーツーという電話が切れる音が耳に響いた。



211
それから何度かけ直しても電話はつながらなかった。


212


あの日から一週間がたった。
あれから俺は一歩も外に出ず、ずっと部屋に引きこもっていた。



213
なぜ電話がつながらなくなったのか、彼女が自分の名前を言おうとしたから、彼女と俺があの感情を持ってしまったから、理由は何個か想像できたけどそんなことはどうでもよかった。
大事なのは俺は彼女と話す手段を失った、それだけだ。



214
わかってるんだ、引きこもっててもしょうがないって、前に進まなくちゃいけない、それが俺にずっとあたえられている課題だってさ。
でもさ、そんな簡単にはいかないんだよ、そんなすぐに割り切れたら最初から苦しくなんかないんだ。



215
結局どうしていいかなんてわからず、俺は引きこもり続けた。


216
それからまた何日かたって、俺は一つ思い出した。
そんなことをしても意味なんかないとわかっているよ、でも思い出してしまったからには我慢なんてできない。
だから、それを確かめるために電話をかけた。



217
そいつは電話がかかってきたことに驚いているみたいで、「今まで何してたんだよ」と聞いてきた。
俺はその問いには答えずただ一言だけ言った。
多分これだけで伝わる。



218
「冒険しようぜ」


219


「お前、なんで急に掘る気になったんだよ? タイムカプセル。もしかしてお前も櫻子ちゃんのこと気になったのか?」
桐島がおどけたように聞いてきた。
「いいから、掘れよ」
我ながら勝手だなと思う。
桐島があんな風にふざけるのは、俺に気をつかってるからだってわかってる。
俺が気をつかわないように、気をつかってくれてるんだ。



220
「いや、ごめん……」
俺はそれくらいしか言えなかった。
本当はもっとしっかり事情とかを説明するべきなんだ。
それがこんな夜遅くに付き合ってくれているやつへの礼儀なのに。



221
「別にいいよ。そもそも俺が言い出したことだしな。でも、夜の学校ってなんかいいよな。なんか、珍しく星もよく見えるし、プラネタリウムみたいだ」
桐島の話ではタイムカプセルは学校に埋まってるということだった。
だけど、うちの高校の警備のゆるさはどうなんだろうか?
こんな簡単に忍びこめるなんて、安全面とかどうなってるんだろうか? 急に心配になった。



222
「お! あったぞ、これじゃないか?」
タイムカプセルが埋まっているという桜の木の下を掘り続けて一時間くらいたったころ、桐島の声が夜の校庭に響いた。



223
桐島は手に持った変な形の近未来的な入れ物を掲げた。
桐島に聞くとどうやら、タイムカプセル専門の箱を買っていたらしい。
きっと変に凝り性な人がいたんだろう。



224
「おい、開けるのか?」
俺が箱を開けようとすると桐島が驚いたように聞いてきた。
桐島の言う通り、本当は他人のタイムカプセルを開けるべきじゃないんだろう。
でも、俺には開けるしかなかった。
箱を開けると、手紙や漫画などいろいろなものが入っていた。
その中に桜の花びらが描かれた手帳があった。
これだ、これが俺が探してたもの。
彼女の日記。



225
俺は桐島がいるのもかまわずそれを開いていた。
桐島は何か言いたそうだったが、俺を止めはしなかった。



226
中を見ると予想通り日記のようで、それは2006年の正月からはじまっていた。
最初の方はとりとめのないことが書いてあり、そこを読むのは気が引けたので、電話が初めてつながった日までページをめくった。



227
4月1日
『今日、未来から電話がかかってきた。エイプリルフールだけど嘘じゃないみたい。とにかく明日いろいろ聞きたいことがいっぱいある。今日は混乱しているのでもう寝ようかな』



228
4月2日
『彼、話してみるとわりと面白い人だった。美容師さんが好きらしい。だけど、未来と電話がつながってるとは思えないような普通の話してるよね。
磯崎先輩のことばれたのは驚いた。私、そんなにわかりやすいかな? でも、私が平気なふりしたの、彼、悔しかったんじゃないかな。
まあ、とりあえず「さくらんぼ作戦」頑張ろう。あと、タイムカプセル面白そう。私もやってみたいな。多分埋めるのはこの日記かな。あー、あと「PERFECT HUMAN」覚えとく。なんなんだろう?』



229
どうやらあのとき彼女も動揺してたらしい。
俺だけが負けたわけじゃないみたいで少し安心した。



230
4月3日
『今日から「さくらんぼ作戦」はじまった。だけど、初日から彼は諦めモードで少しキツイこと言っちゃった。難しくても諦める理由にならないなんて私が言えたことじゃないのに。
でも、彼のおかげで私も諦めないでいようかなと思った。今度、お父さんとお母さんに夢のこと言ってみようかなと思う。あと、これから心霊番組やるらしい。怖いけど気になる』



231
彼女もやっぱりいろいろ悩んでたんだ。
それなのに俺は自分ばっかり彼女に助けられて、俺は彼女に何かしてあげられてたんだろうか?



232
4月4日
『やってしまった。でも、悪いのは私じゃない。あの番組が悪いんだ。ただ、一応ここで謝っておこうと思う、ごめんなさい』



233
そこから何日か日記は書かれていなかった。


234
4月8日
『最近日記をサボってた。今日からはまた書いていこうと思う。日記を書いてなかった理由、どうせこれを見るのは、私だけだから書いておこうかな。
正直、最近彼のことばっかり考えてる。私、どうしちゃったんだろう……今更考えてもしかたないか。明後日先輩に告白しようと思う。彼にも明日そう言って、一緒に告白。「さくらんぼ作戦」最終ミッションだ』



235
4月9日
『明日は告白の日だ。いろいろ考えるのはやめにする。とにかく告白しよう。あと、今からお父さんとお母さんに夢のこと話そうと思う。歌手になりたいって』



236
読み進めていくたびにつくづく思う、なんで俺は彼女の悩みに一切気づいてあげられなかったのかと。
なにやってるんだ、毎日話してたのに、それなのに俺は自分のことしか考えてなかった。



237
そんな気持ちを抱えてページをめくると、四月九日がもう一つあった。
そのページはなにかで濡れているようだった。



238
4月9日
『十二時過ぎちゃったから新しく書こうと思う。いろいろあった。とにかくいろいろあった。
夢のこと話した。無理だって言われた。とびだした。また、彼に迷惑かけちゃった。初めて誰かに歌った。やっぱり、彼には助けられてばっかりだ。彼のおかげでわかった。諦めたくない理由、いっぱいある。初めて歌ったのが彼でよかったと思う。やっぱり私、彼のこと……
どうしたらいいんだろう?』



239
次のページは白紙で、日記はそこで終わっていた。
結局俺は最後まで最低だった。
俺があのとき余計なことを言わなければ、無責任に自分の気持ちを言わなければ彼女が縛られることはなかった。
彼女があのあとどんな風に生きていったのかはわからない。
でも、もし彼女があのときの俺の言葉に縛られたままだとしたら、それは俺のせいだ。



240
残りのページに何か書いていないかという一縷の希望をもってめくっていったが、そんな望みも虚しく、そこから先には一文字もなかった。


241
俺はなにしにここまで来たんだろうか?
結局、より悲しくなっただけだった。
こんな思いをするなら来るんじゃなかった。



242
「おい! なあ!」
急に身体を揺すられ、現実に引き戻った。
「え……何?」
急な問いかけにうまく言葉が出せなかった。
「なんかよくわかんないけどさ、多分これもお前が探してるものだと思うぞ」
桐島の手には封筒が握られていた。



243
「どういうこと?」
「これ、お前が持ってる手帳も同じ柄だろ? だから、多分お前のなんじゃないかなと思って」
桐島からその封筒を受け取り、開けるとそこには手紙が入っていた。



244
未来人さんへ
『こんなの書いてもしょうがないんですけど、もしかしたらあなたに届く機会があるかもしれないから書こうと思います。



245
最初にあなたに会ったとき、未来から電話をかけているとか言われて、エイプリルフールのいたずら電話だと思ってました。
そんな暇なことするなんてバカな人だなって。
でも、本当に未来から電話をかけているって知って、何が何だかわからなくなりました。



246
ただ次の日にはそんなことどうでもよくなりました。
さくらんぼ作戦がはじまった日です。
今だから言いますけど、美容師さんのこと話すときのあなた、すごい嬉しそうでしたよ。
私は、あなたがすごい嬉しそうに話すのを聞くの好きでした、あのときは。



247
そうやってあなたと話しいているうちに、私はあなたに勇気をもらってました。
歌手になりたいって言いましたよね?
実はあれ、あなたに会う前に半分あきらめかけてたんです、どうせ私には無理だって。
でも、あなたと話してもう少し頑張ってみたいと思ったんです。



248
両親に話そうと思ったのも、あなたのおかげなんですよ。
それで、お父さんとお母さんに話したら、そんなのは無理だって言われちゃいました。
それが悲しくてどうしようもなくて、そんなときあなたのことが頭に浮かんだんです。
本当、迷惑ですよね、何回も夜遅くに電話しちゃって。



249
でも、そんな私をあなたは受け止めてくれました。
話を聞いてくれて、歌を聴いてくれて、本当に嬉しかったです。
あなたのおかげで私はまた夢をみれた。
あなたが私を助けてくれた。
本当にありがとうございます。



250
あの電話では言えなかったこと、ここでなら言っていいですよね。
どんなにダメだってわかってても、むくわれないってわかってても、それでもやっぱり私は、



251
あなたが好きです。


252
たとえもう二度と話せなくても、ずっと会えなくても、それでも好きです。
ただただ好きです。



253
でも、あなたは私のこと忘れてください。
私のことは気にしないで、美容師さんと……
ただ、桜が咲いているときくらいは、私のこと思いだしてもらっていいですか?
それだけ、一つワガママ。
覚えておいてください私の名前は……



254
彼女の名前で手紙は締めくくられていた。
涙で視界が霞んでいたけど、それでもしっかり見えた。



255
彼女の気持ちは伝わった。
俺はどうしたらいいんだ?
自分がどうしたらいいのかわからない。



256
「おい!」
横から大きな声が聞こえた。
「行けよ!」
「……え?」
「だから、行けよ! なんかよくわかんないけどさ、行かなきゃいけないんだろ? だったら、行くべきだ」
桐島の言葉は正しいんだ、なにもわかってないくせに、全部わかってる。
でも、その正しさが今の俺にはたえられなかった。



257
「でも、もしここで会いに行って、それがもっと傷つけるかもしれない、傷つくかもしれない、それなら……」
「お前はどうしたいんだよ?」
「…………」
「行きたいんだろ、だったらなにも考えないで行けばいい、ここのことは俺にまかせて行けばいい、そうだろ?」
「どうして……どうしてそこまでしてくれるんだ?」
わざわざ一回断ったタイムカプセル掘りに付き合ってくれて、背中を押してくれる。
いいやつだってわかってたけど、でもここまでなんで?



258
「俺のさ、留年が決まったとき、みんな表面では『大丈夫、大丈夫』みたいなこと言ってくれたけど、それでも、どこか一歩引いてる感じがあった。まあ、二ヶ月も学校休んだ俺が悪いんだけどな。でも、お前だけは違った。お前だけはいつも通り、普通に俺に接してくれたろ?
そのとき思ったんだ、こいつはすごいやつだって」
そんなことで、ただそれだけで……
「だからさ、そんなお前なら大丈夫だ。絶対になんとかなる、いや、お前ならなんとかするだろ? それが俺の知ってる葛木 渉だ。だから、行ってこい!」



259
また、目がにじんできた。
俺はいつからこんなに感情豊かになったんだ?
彼女に影響を受けすぎたかもな。
でも、桐島の言葉それくらい胸にしみた、背中を押してくれた。



260
「わかった、ありがとう」
そうだ、自分の気持ちに正直になればいい。
俺は会いたい、彼女に会いたいんだ。
だから行くんだ。
「おう!」



261
桐島の返事を背に、俺はもう走っていた。
ただ、ひたすら走った。
場所はなんとなくわかる、あそこしかない。
もし、あそこにいなかったらまた探せばいい。
いまならどこまででも、いくらでも走れる気がした。
多分これが映画とかだったら、うしろにはあの曲が流れてるんだろうな。



262
俺は走った。
すぐそばにいた、でも一番遠かった、そんな大事な人に会うために。



264


三回目の夜の海には先客がいた。
「隣、いいですか?」
「……えっ」
驚くその人を横目に隣に座った。



265
「……なんで、君がここにいるの?」
その人は振り絞ったような声を出す。
「あなたに会うためです」
俺は横を見ずに海に向かって話した。



266
「もう何年も言えてないことがあって、それをいわないとな、って思いまして、それで。だけど、あなたの横に座るのって新鮮ですよね、いつもあなたはうしろにいるから」


267
その人は黙ったままだった。
俺が誰なのかわかっているんだろうか?
でも、そんなことはどうでもいい。
俺は自分の言いたいことを言うだけだ、無責任に、自由に、それでなんとかしてみせる。



268
その言葉は考えなくても自然に出てきた。
まるでずっと前から言うことが決まっていたかのように、いや、多分決まってたんだ、運命とか言うつもりはないけど、それでも、こうなることは決まっていた。
俺は彼女の、美咲さんの方を向いて、言った。



269
「十年前から好きでした」


270
「苗字だったんですね、『さくら』って。佐倉 美咲、知りませんでした」
考えてみれば、姓名どっちでもありえる名前だ。
「じゃあ、やっぱり君が……」
「気づいてたんですか?」



271
「なんとなくだけど……何回か会うたびに君が彼なんじゃないかなって、でも、言っちゃダメだって、それで……」
頬には涙がつたっていた。
何回も彼女の泣き声を聞いてきたけど、実際に泣いてる顔を見るのは初めてだ。



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「だから名前で呼んでくれなかったんですね。ずっと『君』って。あなたにとって俺は、名前を知らない未来人だったから」
「そうだよ……ダメだってわかってても、それでもやっぱり君は私にとって……」



273
「ダメなんかじゃない! ダメなんかじゃ……ないです。たしかに、俺はあなたがこの十年間どう過ごしてきたのかしりません。それなのにあんなこと言うのは無責任なのかもしれません。でも、それでも俺はあなたのことが好きです。十年前からそれは変わりません」
「…………」
「一万年と千九百九十年足りませんけど」
「なんなの、それ。ずるいよ」
美咲さんの口は緩んでいた。
やっぱり感情豊かだな、十年たっても変わらない。



274
「やっと見れた、笑った顔。なんか初めて見た気がしますね。お店で何回も見てるはずなのに」
きっと初めてなんだろう、彼女の笑った顔を見るのは。



275
「いいの? 私、あなたより歳もとっちゃって」
「いいです」
「歌手にもなれなかった」
「いいです」
「十年も間があって」
「いいです、そんなの関係ない。俺があなたのこと好きな気持ちに、何にも」



276
「ずるいよ、そんなの。私だって、好きだよ、君の、渉くんのこと。大好きだよ」
「俺もです」



277


「綺麗ですね、海も、桜も」
やっと二人で見れた海と桜は、一人で見ていたときよりももっと綺麗に見えた。
「それって私が綺麗ってこと?」
「あー、そうですね」
「何その言い方、絶対思ってないでしょ」
「思ってますよ」
「はいはい」
美咲さんは信じてない顔で返事をした。



278
「あ! そうだ、歌ってくださいよ、また聴きたいです。美咲さんの歌」
「嫌だ」
「なんでですか?」
「恥ずかしいに決まってるじゃん。電話と目の前にいるのとじゃ全然違うから」



279
「えー」
「渉くんこそ歌いなよ、私ばっかりじゃ不公平だよ」
「嫌です」
俺はそういうタイプじゃないんだ。
「なんだよ、自分だって嫌なんじゃん」



280
「まあ、じゃあ、またいつかってことで」
「そうしよっか」



281
少しして、横を見ると美咲さんは泣いていた。
「どうしたんですか?」
「ううん、ごめん、ただ嬉しくて。十年間ずっと会いたかった人が横にいてくれて、夢みたいで」
そうだ、俺にとっては一ヶ月にも満たない時間でも、美咲さんにとっては十年なんだ。
わかってたことだ、それがどれだけ長いかってことは。



282
だから、だからこそ俺は、その十年を……
「すみません、待たせちゃって。だから、その十年分を埋めるくらい、俺が必ず笑顔にしてみせます。必ず……」
「うん……ありがとう」



283
俺なら、いや、俺たちならそれができる、確信できた。
十年なんて気にならないくらいの感情が、俺たちにはあるんだ。



284
美咲さんは歌ってくれなかったけど、俺にはあの歌がたしかに聴こえた気がした。
ハッピーエンドのエンディングにはちょうどいいな。
そしてどうか彼女が泣き止むまで、



285
響け恋の歌。


286
これでおしまいです
最後まで読んでくださった方はありがとうございます




287
お疲れ様ー
私は嫌いじゃなかったよ


288
面白かった
けど唐突な桐島わろた


293

楽しめたよ


引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news4viptasu/1464700072