霊と哲学

「幽霊」ってなんなんだろう?人間が亡くなった後、体から魂が抜け出た存在なのか?それとも、残留思念と呼ばれる存在なのか、もしくはただの錯覚なのか…色々と考えてみても現代文明では解明することは難しそうですが、どういった存在なのかをみんなで考察するのも面白いかもしれません(おうまがタイムズ)



1
「霊」ってなんなの?錯覚?


2
鈴木大拙か


3
井上円了じゃないかな


4
霊の姿って、誰のイメージなのか?
見た人のか、霊のか


5
見た人は見たひと人なりに、見たことない人は見たことないなりに
考察すればいいんじゃね?


6
よく、幽霊見ましたという人がいる。
その見た目は見た人の頭で考えたものなのか?
それとも幽霊に姿があってそれを実際に見たのか?


7
フィクションの世界では、生前の姿で描かれることもあれば、
炎のような魂のイメージで描かれることもある
実際にどうなのかは見た奴に聞くしかないが、伝承など描写の元ネタを辿っていくと、
おそらく実際に見た誰かの証言に辿り着くのではないかと思う
しかしその証言も信用に足るものかどうかはわからない
生前の姿でも炎でもないのかも知れない
わかっているのは、見える奴には見えることと、見える奴と見えない奴がいること

生前の姿の場合、疑問なのは、生前のどの時点の姿で現れるかだな
氏亡直前(直後)の姿が多いのかも知れんが、
(老後に氏んだ)美女の霊ならある程度若い頃ってことになってしまうな
霊のほうに容姿を決める要素があるのか、見るほうに容姿を決める要素があるのか
はたまた別の要因によるものなのか

炎のようなイメージの場合は、なぜその形なのか、なぜその大きさなのか、
もし色があればなぜその色なのか、疑問は尽きないな


8
整形した人の霊はどっちなんだろうな。


18
もしここで語るのなら、霊に焦点を当てすぎずイデア論など人間や世界の構造的なものも語ろう


19
霊が意識下のものとして語られる場合、白日夢も「霊を見る」ことと
似ているだろうな。

バス停でバスを待っていたら、目の前を天女が通りすぎていったと
いう経験から新興宗教の教祖になった婆がいるが、ああいうのは
やはり霊的で白日夢的な経験なんだろう。


22
ひとが見聞きしたものをもとに、態度を変化させるものだとしたら、
「見聞きした(自覚した)」というのは「意識された」と同義だから
霊もまた「意識」の対象だ。

霊が何かという問いに対しては「それは霊として自覚されたものである」と
いうことだし、「霊」はあるのかという問いに対しては、
自覚したものにとっては霊はある、としか言えないだろう。


23
霊の姿は、それを見た者が頭の中で作り出したイメージだろう。それは霊が存在しないことを意味している。


31
>>23
イメージが「ある」ということは、存在があるということだよ。
存在=実体と思ってるの?


36
>>31
ルフィーのイメージはあるが、ルフィーが私たちが存在するのと同じように存在していないことは明らか
ルフィーの存在を持って霊の存在を主張するのであれば霊とは漫画の登場人物程度の意味しかないんだろうな


34
>>31
自称・霊感のある人が、そのような意味で霊の「存在」を主張していると思ってるんですか?


35
>>34
「自称・霊感のある人」の事などどうでもいい。
哲学的に霊を考察しているだけ。


25
伝聞の知識にしかアクセスできない者が霊について考察するなど笑止千万。


37
俺も実体はないと思う
物質としてはあるだろうけど、物質はあくまで媒介で実体ではないからね


38
実体といっても解釈が別れる
例えばルフィーのイデアはない気がするが
私のイデアはある気がする


39
ないない。
「私」なんて数分・数秒ごとに変化するものだろ。


40
あなたの言い分だと世の中の全ての事物にはイデアはない、となるね
全ての事物は変化するから


41
脳みそは凄い機能を備えていると思う。
幽霊に関してはわからないが、
脳は予知もでき、テレパシーもでき、意識不明になっても周囲をばっちり記憶出来てたり。
一番凄いと思うのは、脳と脳の同期。
色んな意識に繋がれるとこ。


47
>>41を元に考えれば、霊は意識世界の住人である
人は意識世界と物質世界の住人である
霊も物質世界の住人だろうけど構成されている物質が違うんだろうなあ


43
物質にはわからんよ
人間にしかわからないことだよ
あなたには関係ない話だったな


44
もともと事物のイデアというのは人が与えたものだよ。

なんで素朴実在論者ってこんなに多いんだろう。


45
でもおかしいんだよね
霊が主体というなら、また感覚器が無くてもこの世を観測可能なら、物質いらないじゃない


48
霊がもし物質として存在するなら、原始人の幽霊もいるはず。
しかし見たという人はいない。
従って霊は全くの空想の産物であると思う。


49
原始人は聞かないな せいぜい古事記辺りの時代、、もっと古いのも視てる人もいるかもしれないが


53
>>49
ということは、視ている人が想像しているだけでルフィーと同じということ。


50
「霊位」というモノは、物理的存在では有り得ない。
然乍例えば「唯一神」という妄想を共有するキリスト教圏では「神」は「存在」する前提で文化が運用されている様に、
人類の脳機能が「霊位」を世界の構造の一部として認識する以上、居るものとして扱うのが妥当。
「其処に居るモノ」を黙ころする事も、認めた上での行動の一種に過ぎない。

(^。^)「見たこと無いから存在しない」って連中こそ「素朴実在論」。(笑)


51
物質の運動を「振動数」に例えると、振動数が低いほど物質的に安定している
霊感というものを考えた場合、人の五感では感じ取るのが困難な振動数の現象を
敏感に感じ取る能力である、と見立てることができる


52
個の記憶を失えばただの物質に戻るのだろう


54
原始人の霊がいない理由
人も深い瞑想をすると生きていながらに無の境地に達しますよね
霊もそれと同じで物質でありながら無になり自他ともに認識されない存在になっちゃってるんじゃないすかね?


56
やはりね、いつまでも意識を持っていられないのでしょう


57
霊=意識体であるとは限らない
人間の五感を超越した存在なんだから実際はどのような形態か分からない
意識をもった「幽霊」のようなものは存在するのかどうか分からないけど
「霊的な何か」を察する能力を人は潜在的に持っている
根拠があるか無いかはまた別の話


58
>>57
でも見えてる人がいるってことは、主体としての姿があるということなのか?


59
漢字の成り立ちみれば明白だろ、霊は雨と巫とかく。
それは時の成り立ちのように掴めない不完全なことを説明する。
なのに完全な仕組みの上に説明されるもので表すとか



60
霊が意識体でないなら、生前の膨大な記憶を受け継いだ物質……


62
>>60
「意識体」ってなに?


63
>>62
意識がある物質


65
>>63
それは「生物」


66
>>65
残念、生命な、生物と生命ぐらい区別しような。


67
>>66
残念なのはおまえだ。生命は物質じゃない。
生命を持つ、物質の集合体が「生物」なんだよ。


64
ベヘリットのことか


68
霊が生物でないなら、生前の膨大な記憶を受け継いだ物質……


69
>>68
それじゃ三位一体ですがな


70
>>68これ三位一体なの?
生前の記憶、それを保持する物質、その物質を感知する人
みたいな感じ?


71
>>70
ハイデガーの唱えた「世界-内-存在」みたいな三位一体。


75
>>71
ありがとう なるほど


76
霊が生物でなく記憶の集合体で何らかのエネルギーを得て稼働してるとして、
AIにも将来的に意識が発生したとしたら、意識は必ずしも生物に限定されないとなりますね

AIの親は人で、生物の親は自然


77
AIのはあくまでも擬似意識だろうな


79
人間も意識がfMRI確認とれなくても生命維持できるし、意識と肉体は分けられる


82
>>79
植物人間状態から生還するケースってどのくらいあるのかね。


80
>「霊」についての哲学的検証

定義する。

・「物」に対して「霊」と考えて、「霊 = 働き」とする。

ここで「物」とは、ある性質(=働き)に基づいて境界を定めて定立される、ひとまとまりの存在のことで、
言わば観念的な存在。

補足。
・「物質」をいうとき、(物でなく)「質」だから、働き(=霊)に属する。
・また、「物」とは観念的な存在だから、我々の五感では感じ取ることができない。その物を構成
する物質は感じ取れるけれど。


81
>>80 補足の補足。
リンゴ『と』感じることができても、リンゴ『を(は)』感じることはできない。


83
いわゆる”見える”人間です。
”人”によって様々です
男女の区別がつく場合もあれば、
人のテイを成していない場合もあります。


85
>>83
>人のテイを成していない場合もあります。

意識の集合体ですかね


86
今余暇で「自我と無意識」(C.G.ユング/レグルス文庫)を読んでいて、
ちょうど霊や魂の言及のあるところへ来たので、参考に引用しておきます。

[p.115 4行目~] 人間の意識野が限られていれば、それだけ心的内容
(=「イマーゴ」)は、あたかも外部の実在のように思われるから、精霊と
されたり、呪術的な力として生者(=魔法使いや魔女)に投影されたりする
のである。

[p.115 10行目~] そのコンプレックス(=霊や魂のもととなる心的要素
/引用者注)は、さしずめ意識と無意識との間にあって、いわば半影の中に
とどまっている。つまり、一方では意識主体に帰属しながら、他方では自
律的存在なのであって、かかるものとして意識に対抗したり、さもないま
でも主体の意向に必ずしも従わず、むしろそれの上位に位置して、しばし
ば霊感や警告といった「超自然的」情報の源泉となるのである。


87
記憶を持たないものに意識などない。
心を持たないものに意識などない。
機械の計算機を脳に埋め込んだ肉体は人間の条件を満たさず、
それは機械に動かされる肉片と同じ。その動きに霊的要素は無い。


88
霊なんてのは、ラジオのノイズと同じものだよ
人間は電気信号を通じて、外界を感知する。
それは、機械と同様に100%であるはずが無い。
つまり、人間のノイズ現象とでも言うべきか、電気信号に誤差が生じたため、
視覚によって通常ありえない物体を感知してしまった。
それが霊ではないか?
いかにも、霊を実証するには、感知した者を問い詰める方が利口だと思うが。


90
>>88
ノイズなら会話できない
錯覚でおわる


92
>>88
ノイズではなく、通常は別のチャンネルに存在しているモノでしょ?

存在しているのは、物質次元に存在しているモノだけというのは
唯物洗脳による大きな間違いだからな。


89
記憶ならデータとして詰め込めばよい
そこから何か心的な意識的なものも生まれるでしょう


97
命なんてものは物理的に無いんだから、それは人が観測する
まやかし、錯覚だから。
なんでそんな単純なことが理解できないの?
この科学技術が発達した社会でいまだに命なんて信じているの?


98
エネルギーでしょ


99
鬼火はプラズマ


103
>>1
学術的にいえば可能性+希望から連想される錯視
脳に針をさして音楽が聞こえる実験があったが、それと同じ
霊をなすものがあやかし、それが具現化して働きを
持ってしまえば、もののけと言う。
西洋で言う、精霊と神にあたる。
人の認知は錯視による現実認識なので、それは現実に起きている、
人は正しく言えば原子の集まりであるが、錯視によって人間という
尊厳を与えられ、実在の命と定義される。
物理法則には命の定義などなく物理学では命の存在も説明不可能である。
故に人間も物理学上は肉の塊たんぱく質と原子と分子とかいう説明で正しい。
それらがなす秩序だった模様にすぎない。


104
霊とは何か。これは、我々人間の意識とは何か?と同じように説明をすることは
非常に難しい。
意識とは何か、ということを究明する前に、我々は普段の生活の中で、無意識の内に
周りのものを観て色々なことを感じ、考えているが、これらは皆、主観的な意識である。
つまり、自己の“主観”を通して我々はすべてのことを理解している。だから、科学技術による外界の物も
我々の主観を通して認識されていることになる。

意識は、科学的には解明することはできない。しかし、我々の「意識」は間違いなく“実在”していることは
誰しも実感していることである。 「霊=神霊」は、人間の意識と同じように科学的には実証することは出来ないが、
人間の意識(=精神)の延長上にある概念であり、一概に否定することは出来ない。


106
すべてプラズマなんです


109
「意識」というものを、科学的には証明できないが、私達は、自分の周りにある事物を
自分の“主観的意識”を通して認識している。

「霊(霊魂)」とは、肉体に宿り、または肉体を離れて存在する精神的実体です。
この、精神的実体が、人間の「主観的意識」を構成している。

意識(霊魂)を、科学的に証明できないという根拠は、科学が物質(三次元構成による定義)を
基底とした学問であるのに対して、精神(霊魂)は四次元構成以上の領野に存在するからである。
つまり、私たちが普段認識している「物質」とは、タテ・ヨコ・高さの空間的広がり(三次元構成)
として定義されている。現代の科学での「物質=物体」の概念も、「三次元構成」の定義に基づいている。


119
霊って言葉は、意味って言葉がなかった時代に意味って言葉の替わりにつかわれていた言葉だと思うんですよ。
何か起きた。それは自分にとって意味がある、という思考が、言葉の定義の曖昧さに引きずられて、
何か起きた。それは霊が原因だ、という風に解釈されたのであって。


122
>>119
逆です、曖昧で不確かな物を特定せずに言うのが霊です、
具体的に何かと確定しているものを言葉を濁して霊としているわけではない、
何かが原因だというのを霊とするのは、その何かわからない物を想像し
その想像が原因としたわけであって、心のよりどころの不安定さが何かの原因
そのものです。


120
霊とは何にでもなれる神様が理屈上、地続きで成り立たせて存在しているもの

これを理解できる奴はいないだろう


123
その現象である「霊」が自分にとってどのような「原因になっているのか考えるより、
その現象の「意味」が自分の「目的」にとってどのようか価値があるのか
考えたほうが生産的だと思いますけどね。


124
その考えは将来後悔すると思います
価値より本来の自身に必要かどうか
その価値云々を見直した方が賢明な気がしますね
必ずしも自身のプラスになるとは言えないと思います


125
自分自身にとっての価値が自分にとっての意味になるのだから・・・

というか、おっしゃる事の意味がもうよくわかりませんでした。
霊という発想で世界をとらえる意味もわからなくはないのですが、
より正確な理解に至ったらもうそういう言葉はオッカムのカミソリで
切り落としても問題ないものだと思いました。伝統的、因習的な
秩序を引いて眺めるというのに意味はあると思うのですが。


127
思想の根本にはインドの梵我一如思想があり、霊という概念は、永続的な我(自我)がというのが定義で
それが全存在の本質である梵と一見区別されているようでも実は一体であるという思想になります。
全存在が永続的であるという事に論理的な根拠はないのですが、完全な存在は一切の制約を持たないために
時間の制約からも自由であろうという連想が根拠になっています。曖昧な思想であり、ニーチェによる
形而上学批判により修正されるべき部分を含んだ概念です。


引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/philo/1406194712