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「祖父が韓国に赴任していた時の怪事件と日露戦争の歩く死体」洒落にならない怖い話

祖母から聞いた祖父の戦争時に体験したという話は、想像を絶する恐怖の体験談だった―― 

祖母から聞いた話

祖父が日本の警察から出向で朝せん総督府高等警察課(単身赴任)にいた頃、
祖母と叔父叔母たちは、祖父の職掌上 「全羅道 茂朱」と言う田舎の外れに
居を構え現地人に裁縫や料理、孤児を引き取ったりと忙しく過していたそうです。
そんなある日、村出身の警官が馬で村に入ってきました。
彼の話によると

・馬賊がもうそこまで来ている
・茂朱警察署員も向かってきているが間に合わない
・馬賊の構成人数は、これこれでこうである
・署員が到着するまで死守されたし

との事、村の男は火打ち式猟銃を、馬の警官・祖母や叔父達は祖父のライフルを持ち
警官の指示の元、村の外塀・内塀を盾に馬賊に応戦しました。


村人が1人亡くなり叔父も左足に銃創を受けましたが、
馬賊は、村を諦め散っていったそうです。

やっと到着した茂朱署員が言うには、
「何の連絡もなしに防備できたのは何故か?」
「貴村民は、いつも銃を携帯しているのか?」との事、

村の代表が馬の警官の話をすると、
「道中、彼の死体を発見しトラックに積んである」
と言われ、村人がトラックの中を覗くと“馬の警官”の死体が
頭と胴体別々に置いてあったそうです。
戦後祖父が作らせた、彼の位牌が今でも叔父の家の仏壇においてあります


祖父の叔父が日露戦争に行った時の話

当時は、部隊間・前線と司令部の連絡は、有線で行われていて
砲撃によりしばしば寸断され、伝令を使い司令部から前線部隊へ命令伝達や
前線の状況を司令部に報告したりしていたそうです。

彼(祖父の叔父)も新発田連隊付の伝令将校として
司令部と前線を何度も行き来したそうです。

夜間も戦闘が継続したそうですが伝令として両軍の死体を避けながら走っていると、
体が半分吹き飛ばされた者・頭に下顎しか乗っていない者・前進焼け爛れた者など
確実に死亡していると思われる兵が閃光に照らされる暗闇の中を徘徊しているのを何度も見たそうです。

一度、徘徊する頭の半分無い兵をよく見ると
彼の従卒(身の回りの世話をする兵)だった某だと気付き凝視していると
某の方も彼に気付き「大尉殿、大尉殿」と残った片目から涙を流しながら
彼に近付いて来て手を掴むと彼を導きました。

そこには某の死体が有り、某は背中に弾の抜けた後しかない死体があったそうです。
戦後、金屋村という所の某の家に行き、遺髪を渡し彼の見た某の立派な死に方を
伝えたそうです。