17
俺のうちは、親父が地元企業に勤めていたから、
生まれてから一度も引っ越しをしたことがなく、
生まれた時から高校を卒業するまで18年間、同じ所に住んでいた。
(大学は東京の私大だったのでそれ以降一人暮らし)

家と同じ並びで、4軒ほど離れた家に、
おじいさんが一人暮らしをしていた。
俺が地元を離れる時もぴんぴんしてたから、
実際はそれほど年じゃない初老の人で、
子ども目線だから年寄りに見えたのかも知れない。


18
近所づきあいはあまりしない人だけど
偏屈ということもなくて、普通だった。
おじいさんの家は、敷地の奥まった所に建ってて
前は小さな空き地みたいになってた。
駐車スペースみたいな感じだが、車はなかった。
あとコンクリートやアスファルトで固めてもないから
夏は雑草が伸びて、たまにおじいさんが草刈りしてた。




19
親からは、ご近所の人には挨拶しろ、と言われてて
おじいさんも挨拶すれば返してくれたし
でも一つだけ、普通じゃないことがあった。
1ヶ月に数回の割合で
家の窓や、あるいは家の前に立って
誰もいないその空き地に向かって
「出て行け」とか「出て行きなさい」
と怒鳴っていることがあった。
しかもその時は一回じゃなく何度も怒鳴るし
普段はマトモで、たまに変になる人かと思ってた


21
小学校の高学年にはなってたある日、
学校帰りに角を曲がって、あとは家まで一直線という時
その「出て行け」と怒鳴ってるのに出くわした。
その家の前を通って4軒目が俺の家。
出くわしたことは前にもあったし、
「またか。やだな」と思いつつ通り過ぎようとした。
そうしたら何故かその時だけ
あの空きスペースにたくさん人がいたんだ
大人じゃなくて、その時の俺くらいの子どもばかり。
男の子も女の子もいた。
みんな道路に背を向けて、おじいさんのほうを見て
微動だにしなかった。


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残念なことに、俺はその場を離れず見ていたらしいのに
子ども達がどうしたかは、何故か記憶がない。
覚えているのはおじいさんが
「見えたんだろう、すまんな」と言った。
もう子どもたちはどこへ行ったのか、いなくなってた。
その時の会話はこんな感じ
「あの子たちはなんですか?」
「わからない。俺も見えるだけでどうにも出来ない。
ただ、ああやって強気で怒鳴りつけないと、家の中にも入ってくる」
そう言われた時、ちょっとぞわっとした。
子どもたちは別に半透明とかぼんやりではなく
その場に存在しているようにしか見えなかった。


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家に帰って話したら、お袋も知ってたし、
仕事から帰ってきた親父も至って普通に
「見ちゃったか。気にすんなー。この辺に住んでる人は、
みんな見てるから。なんかの加減で見えたり
見えなかったりするんだけどなー」
と言ったんでびっくりした。
だからおじいさんの奇行にも見える怒鳴り声を
誰もおかしいと言わず普通に接してたんだ。


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でもうちの近所も、もっと広い範囲の地域でも
いっぱい子どもが氏んだ事件とかは
まったく聞いたことはないし、
誰もそんなことがあったと知ってる人もいない。


26
いつも同じ子たちが居ついているのか
その時々で違う子が通っていくのか、どっちだろうね
どっちにしろ団体さんはあんまり見たくねーな


34
子供たちの服装は?
戦中戦後に空襲か飢えで氏んだ子供たちじゃないの


40
>>34
たぶん戦時中の子どもたちって、火垂るの墓の兄妹みたいに
坊主頭とかおかっぱとか、服装も古くさいと思います。
で、今思い出すと、長髪で天パの子とか確かいたような気がして
当時も「子ども達」と普通に思って、それ以外の違和感は
なかったように思うんです。
俺の出身地は工業都市で港や鉄工所、造船会社もあるし
戦時中は空襲の激しい地域だったのは間違いないです。
でもその時代の子どもかどうか、はっきりしません。


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全員こっち見てて、しかもほっとくと家に入ってくる
怖すぎだろ


28
空き地が霊道になってるんだろうな
氏んだら好きな年齢になれる⇒子供の頃⇒みんなで空き地で遊ぼうぜみたいな






引用: ほんのりと怖い話スレ その101