505 名無しさん@涙目です。(長野県)
俺の親父が昔、大雨の中山に入ったときに遠くで
ドーンドーンっていう木が連続して倒れる音がしたらしい。

親父は誰かが勝手に家の山の木を切っていると思ったらしく、
そっちへ向かって歩いたが何も無い。
家の山の隣は標高の高い山になっており、
国有林の大きな針葉樹がびっしりと生えている山になっていて、
昼間でも日光が地面まで届かずに
鬱蒼としたコケがびっしりと生えており、
登山道でもないので誰も足を踏み入れない。

親父はそこまで行って誰も居ないことを確認すると、
その鬱蒼とした国有林を見て怖くなったので踵を返した。
すると、後ろでまたドーンドーンと大きな音がする。
親父が持っているカメラで動画を取ろうとしたのだが、
使い方が分からずに数枚の写真を撮っただけだった。

すると、遠くで鹿の無くような声が聞こえ、
その大きなドーンという音が以前より近い場所で聞こえてきた。
それから親父は早歩きでクルマの置いてある場所まで移動して、
後ろを振り返ると木と木の間を黒い子供のような影が移動した。

こんな山奥に子供がいるはずもなく、
親父は咄嗟に早く逃げなければやばいって思ったらしくて
急いで車を発車させたんだけど、目の前の林道が倒木で通れなくなっていたので、
バックでぶっとばして逃げてきたらしい。

なんでもその近くに大昔に神様を祭った祠があるらしいんだけど、
今は全く人が近づいていない上に国有林になったので、
誰も管理している人がいないんだって。

まあ、その事件から怖くて余計に誰も行こうとしないけどね。


508
>>505
なんか怖いっていう感じじゃない話だね。
色々と詳しく知りたくなる話だ。


517 名無しさん@涙目です。(長野県)
>>508
そら作り話じゃねえんだから


518
>>517
もっと詳しく聞かせてくれよ
興味深いわ


520 名無しさん@涙目です。(長野県)
>>518
その祠はもう氏んだけど、
ばあちゃんが子供の頃までは山の樵によって山神様が祭られてたらしい。
俺もがきの頃に一度だけ婆ちゃんが酒供えに行ったのを着いてったことがあるんだが、
結構山奥にあるので、本当に人が管理してなくてボロボロだった。
岩と岩の間に祠が建っていて神様が祭ってある。
今は樵がいないから誰も祭らないんだろう。

ちなみにこの祠の近くには小さな池があって、地元の昔話なんだが
日照りが続いた時にこの祠から神様が村人の格好をして下りてきて子供を欲しがったそうだ。
村人が雨を降らせてやったら次に生まれる子供をやるっていう取引をして、見事に雨が降ったらしい。
約束どおり子供をこの池に捧げたらしいんだが、
それから池に蓮の花が一輪だけ咲くようになったらしい。

びっくりしたが、俺がガキの頃にその池に行くと本当に蓮の花が一輪だけ浮かんでた。
あと、妄想かもしれないが、白蛇が水面を縦にうねりながら走ってたのを近所の友達3人ぐらいと見た。
今でも皆覚えてる。

その池も今では誰も近づいてないからどうなってるか知らないけど。


524
>>520
人身御供か
わざわざ情報を書いてくれてありがとう。
色々と興味深い話だ。
成体のアルビノの蛇は確かに珍しいね。

気に入られないで良かったね。


607
>>520
長野、山神、白蛇ってとこでミシャクジ様を連想した
子供の人身御供を要求するとこなんかミシャクジ信仰の話でよく聞くし
ミシャグジは日本の神。
柳田國男はこれを塞の神(サイノカミ)とし、もとは大和民族に対する先住民の信仰であるとする 諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある
ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており、当初は主に石や樹木を依代とする神であったとされる。
地域によっては時代を経るにつれて狩猟の神、そして蛇の姿をしている神という性質を持つようになったと言われている。
その信仰形態や神性は多様で、地域によって差異があり、その土地の神や他の神の神性が習合されている場合がある。
信仰の分布域と重なる縄文時代の遺跡からミシャグジ神の御神体となっている物や依代とされている物と同じ物が出土している事や、マタギをはじめとする山人達から信仰されていたことからこの信仰が縄文時代から存在していたと考えられている
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミシャグジ


515
>>505
こーゆー話好きだ
ダイダラボッチとか古い神様の話を喚起させられる



534
>>515
長野県だとデイダラボッチて呼ばれてるな







引用: 【ν速オカルト部】 山の怖い話