1 2018/05/28(月)
ワイは南方熊楠を推す


6
平賀源内もいい勝負
平賀 源内(ひらが げんない)
享保13年(1728年)- 安永8年12月18日(1780年1月24日) 江戸時代中頃の人物。

本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。

天才、または異才の人と称される。
鎖国を行っていた当時の日本で、蘭学者として油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。
文学者としても戯作の開祖とされ、人形浄瑠璃などに多くの作品を残した。
また源内焼などの焼き物を作成したりするなど、多彩な分野で活躍した。

発明家としての業績には、オランダ製の静電気発生装置エレキテルの紹介、火浣布の開発がある。
気球や電気の研究なども実用化寸前までこぎ着けていたといわれる。

土用の丑の日にウナギを食べる風習は、源内が発祥との説がある。

平賀源内
https://ja.wikipedia.org/wiki/平賀源内

8
孫正義


10
>>8
たしかに孫は現役日本人経営者ではぶっちぎりだな



27
>>10
日本人???


30
>>27
国籍は日本だからセーフ



15
関孝和


17
>>15
忘れてた
和算の神やな



68
>>17
いうても和算が世の中を変えたってのはないんでなあ
個人的な趣味の範囲を超えてない




21
南方熊楠なんだよなあ


24
南方熊楠は蔵書家の家で100冊を超える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写した
田辺在住の知人野口利太郎は熊楠と会話した際、“某氏”の話が出た。熊楠は即座に、「ああ、あれは富里の平瀬の出身で、先祖の先祖にはこんなことがあり、こんなことをしていた」ということを話した。野口は「他処の系図や履歴などを知っていたのは全く不思議だった」と述べている



29
語学にはきわめて堪能で、英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・ラテン語・スペイン語について、専門書を読み込む読解力を有していた。
また、ギリシア語・ロシア語などに関しても、ある程度学習したと考えられる。語学習得の極意は「対訳本に目を通す、それから酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけであった。



62



65
南方熊楠は霊体験とかも遠慮せず話していたのが知名度があまり高くない理由の1つとか


33
岡潔という数学界の傑物


34
ABC予想の望月新一も化け物だ


38
広中平祐も凄まじいな


26
空海
空海
宝亀5年(774年)- 承和2年3月21日(835年4月22日)
平安時代初期の僧。
弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。

日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。

能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。

空海
https://ja.wikipedia.org/wiki/空海

31
>>26
空海も紛れも無い天才だな



40
空海やろ


43
>>40
平賀源内も相当やぞ



54
>>43
平賀源内が存在しなかったとしても、日本史にも科学技術にもたぶん
なんの影響も無いけど(うなぎの価値くらい?)
空海がおらんかったら日本文化は今とは違う形になってたと思うで


55
>>54
な、なんだってー!



41
割とガチで長束正家


46
>>41
簿記の神さまやな



45
楠木正成
時代にあまりにも合わない合理性
あと最後の不遇さも天才っぽい
楠木正成
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに天皇を助けた。尊氏の反抗後は新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。

明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位(位階及び神階のひとつ。諸王及び人臣における位階・神社における神階の最高位に位し、従一位の上にあたる。)を追贈された。
楠木正成
https://ja.wikipedia.org/wiki/楠木正成

47
数学は岩澤健吉を推したい
物理は南部陽一郎


52
>>45
岩澤とんでもない鬼才やな



50
葛飾北斎
芸術の分野で


53
芸術は葛飾北斎で文句ないわ


56
手塚治虫 井深大 嶋正利 塙保己一 稗田阿礼 森鴎外らが入ってないとは
ざっと思いつくのはこんな感じ議論に加えてええと思うわ


66
明治前やと案外おらんな


67
明治以前なら紫式部はノミネートされるやろ


72
聖徳太子
紫式部
空海、最澄
あと誰かおる?


49
羽生


76
羽生善治言うとるんじゃ!


78
>>76
将棋界史上最恐は羽生さんね
ただ藤井くんの活躍次第で覆るかも



151
将棋界はあえて村山聖(九段)享年29
羽生と同世代
幼少より難病にかかり、病魔と闘いながら対局
もし、健康な身体なら…という悲運な天才


153
>>151
大丈夫全部藤井くんが食い尽くしてくれる



88
原始模型の基盤を作った長岡に決まってるやろこのスカポンタン


101
軍人なら源義経、楠木正成、毛利元就、高杉晋作、ハゲネズミ辺りやないん?


105
>>101
村田蔵六が入ってないやないか!
大村 益次郎(おおむら ますじろう)
文政7年5月3日(1824年5月30日)- 明治2年11月5日(1869年12月7日)

1865年(慶応元年)12月12日、名乗りを村田蔵六から大村益次郎に変える。

幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。
維新の十傑の一人に数えられる。

長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。
太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。
靖国神社の参道中央に像がある理由もこのためであるとされる。
大村益次郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/大村益次郎

108
>>105
これやな


107
経営とかでいくと
ナンバーワンで渋沢栄一なんやがなあ
影響力ありすぎ


112
日本史上最強ってなると誰なるんやろなぁ




114
>>112
そらもう船坂弘よ
船坂弘
1920年10月30日 - 2006年2月11日
日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。

戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。
全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。
テキサス州名誉市民章授与。

白兵戦におけるあまりの戦果から、個人名としては唯一「戦史叢書」に名前が載っている。

特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。

第219部隊伍長だった頃の舩坂弘
船坂弘
https://ja.wikipedia.org/wiki/舩坂弘

127
>>114
それな


128
>>127
まぁ実話と言う証拠は無いんやけどな


131
>>128
義経かてどこまで事実か分かったもんじゃないからええやん?


133
>>131
義経はもう天狗と修行したり海を渡ってモンゴル皇帝になるとか言うファンタジーの域やからなぁ


120
五稜郭で最後まで粘ってのちに外交官として大活躍したやつ誰やっけ


121
>>120
榎本武揚
なお諭吉や勝からの評価はボロクソな模様


124
>>121
アレは能力を貶してるんやなくて人格を疑ってるんやからセーフ


125
諭吉はすごいけど天才て感じではないかね?


126
>>125
せやな
どっちかと言うと勝とか吉田松陰も秀才ちゃうか


134
純粋に知的天才でいうと南方熊楠
芸術系の天才でいうと文学は三島由紀夫か泉鏡花
他の分野は誰やろね、絵は若冲を押す
伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)
正徳6年2月8日(1716年3月1日)- 寛政12年9月10日(1800年10月27日))

近世日本の画家の一人。
江戸時代中期の京にて活躍した絵師。

写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。
伊藤若冲
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤若冲

137
んじゃ現役数学者で1番は望月教授に決定ね
絵は北斎
博物学は南方
万能枠は空海



138
ワイの若冲説が...


139
>>138
すまんなたしかに伊藤若冲も凄いけど
影響力考えたら北斎になる



141
>>139
そうなるか...すまンゴ
文学分野と戯曲(歌舞伎能狂言)分野の天才も決めたいなあ
ついでで笑いと音楽も


140
総合優勝は高木貞治ね
高木貞治(たかぎ ていじ)
1875年4月21日-1960年2月28日

日本の数学者。東京帝国大学教授。第1回フィールズ賞選考委員。文化勲章受章。

帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)数学科へ進み、卒業後にドイツへ3年間留学。ヒルベルトに師事し、多大な影響を受ける。

代数的整数論の研究では類体論の確立に貢献し、特に高木の存在定理の証明で知られる。

ヒルベルトの23の問題のうち、第9問題と第12問題(に関連した世界的な難問)を肯定的に解決した。

『解析概論』『初等整数論講義』『代数的整数論』など多くの数学教科書を著した。特に『解析概論』は解析学入門の名著として知られ、第一版の刊行後50年以上経ても版を重ねて広く読まれている。また『近世数学史談』などの数学の啓蒙書も著している。
高木貞治
https://ja.wikipedia.org/wiki/高木貞治

142
文学だと誰だろ
夏目漱石かなぁ



144
>>142
影響力で考えると確かに夏目漱石なんやけどな
文学史全体で見て大きな転換となったのは坪内逍遥
ほんでその後の色色の頂点が夏目漱石やな
純粋に能力だけで考えたら泉鏡花と三島由紀夫の二人はやっぱ化物やで


146
>>142
漱石とか別に天才感無いだろ
それこそSF御三家や風太郎の方がよっぽど天才感ある


143
立川談志曰く真の天才は手塚治虫と小松左京


149
島崎藤村とかどう?


154
>>149
天才感はないな
志賀直哉、島崎藤村、夏目漱石、森鴎外、幸田露伴あたりもまだ微妙やな。どれもレジェンド級の奴らやけど

天才感あるのは三島由紀夫、泉鏡花、梶井基次郎、横光利一、安部公房あたりやね


155
天才言うたら三島由紀夫やろな

夏はフロックスそして酸模。
秋は胡枝子と尾花と葛、敗醤、蘭草、瞿麥、又桔梗が互に絡み合ひ戲むれ合ひ、秋風に翫ばれて咲き乱れて居るのは、秋彦の心を、七草を眺める老人の様なそれに變へさせることがあつた。
更に、冬は、雪姫の純白な白衣の袖をやんはりとかけられた丘が見えた。





三島由紀夫(13)


158
文学の天才は三島由紀夫でええか?


159
>>158
ワイは異論なしや


160
個人的に安部公房好きやからなぁ
なやむなぁ



164
最近テレビで紹介されとったけど、

二本の竹刀の剣先は出会った二匹の犬さながら、神経質に嗅ぎ合っていた

なんて比喩が出来るのは三島由紀夫くらいやしな

安部公房も超人的な天才やし、ワイは安部公房でも問題ないと思うわ
文章だけ見れば間違いなく三島は日本文学史史上最高の天才


165
>>164
三島由紀夫で決定!

んで戯曲の分野はどうする?
ワイ戯曲一ミリも知らないんや



166
>>165
戯曲も文学の一分野と考えて統合してしまうのもええけど
歌舞伎・狂言あたりから一人出してもええ気がするわ


167
歌舞伎は出雲阿国でよくない?
出雲阿国(いずもの おくに)
元亀3年?(1572年) - 没年不詳
安土桃山時代の女性芸能者。

ややこ踊りを基にして、かぶき踊りを創始したことで知られており、このかぶき踊りが様々な変遷を得て、現在の歌舞伎が出来上がったとされる。

一般的には、彼女による「阿国歌舞伎」の誕生には名古屋山三郎が関係しているとされ、「山三郎の亡霊の役を演じる男性とともに踊った」といった解説がなされることが多い。

なお、現在では「出雲の阿国」「出雲のお国」と表記されることが一般的であるが、彼女の生存時の歴史資料にはこのような表記は発見されておらず、これらの表記は、口伝を筆記したもの、あるいは、17世紀後半以降、彼女が伝説化してから広まったものと考えられる。

出雲の阿国像(京都市東山区)
出雲阿国
https://ja.wikipedia.org/wiki/出雲阿国

168
>>167
まあ、夏目漱石みたいな創始者重視で考えるならそれでもええんやけどな






引用: そろそろ日本人史上最高の天才を決めようか???