1 2018/09/27(木)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28

兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、
毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。

通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流

夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、
その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。

夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。
大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。

「夙村の人々は、通婚の差別は受けていたようだが、疎外されていたわけではなく、味間南とはゆるやかな交流があった」と酒井さん。
その証拠に味間南の旧家、御前昇さん(85)が保有する御前家の江戸時代の香典帳から、夙の人々と香典をやり取りしていた記述が見つかっている。

柿渋師集団の村か

嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。

柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、
当時は多くの利用があったとされる。

酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。

疫病蔓延? 80戸が7年で7戸に

一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、
全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。

「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、
同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間に
なくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。

大火相次ぎ、明治期から供養

その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。

そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。

さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。
以来、大きな火事は起こっていないという。

(略)

夙村の跡。現在はスギやヒノキの植林に覆われている=2018年9月23日午前10時29分、兵庫県篠山市味間南で




14
うはぁ、横溝正史の世界
雰囲気ありすぎw


100
>>14
具体的な作品を思い出そうとしたら、脳内で阿部寛と仲間由紀恵に邪魔された(´・ω・`)


104
>>100
まるっとお見通しだ!


165
>>100
やめろ

やめろ
脳内再生が止まらない


16
野党にでも襲われたか




19
こういう話が大好き



23
まぁ普通に疫病でかなり氏んで他は引っ越して流れで0になっただけなんだろな

マスターキートンでペストが村の子供連れてく話思い出した


28
実は皆ゴロしにしたんでしょう?


30
交流のある村で破滅的な疫病が発生。
そこで近隣の村々がどう動くか。
想像に難く無い。

そりゃ祟る罠。


74
>>30
ありえそう


31
サイレンが鳴って皆赤い水を飲んでしまったのか……


34
茨城県にも 一村まるごと400人 老人も女も子供も 皆江戸幕府によって大虐サツされたところがあるぜ
茨城県大子町の小生瀬 地獄沢ってところ
江戸時代初期に佐竹家が追いやられて幕府直轄になった村が年貢詐欺のゴタゴタで役人ころしちゃったんで
報復で幕府にやれちゃったの 400年前の話
ほぼ全員大虐殺にあったけど生き残った数人が300年も語り継いだ
興味あったらぐぐってみてね
現地には首塚 胴塚 耳塚とかあるんだって。ここの人ならどういう事か意味がわかるでしょう


53
>>34
松倉重政、松倉勝家のポンコツ親子のキリシタン弾圧もあったし無いとはいえないよな
藁蓑を着せて火をつけ、もがきながら焼氏する姿を「蓑踊り」と呼んで楽しんだり…
雲仙岳の地獄谷に信徒を裸で立たせ、背中を斬った後に傷口に熱湯を注いだり、熱湯に浸けたりして絶命させたり…
結局、殿様の身分で打首になった馬鹿だったしw


231
>>53
ひぇぇ…


35
土砂崩れと水害で一夜にして消えた村とかって日本にあるのかな


83
>>35
火山噴火だけど、山がまるっと飲みこまれたってのはある
5000年前のスギ林がつい20年くらい前に発見された


51
>>35
大名の城が消えたのもあるよ


59
>>51
帰雲城だっけ?


277
>>59
地震でな
北海道のを見れば納得するだろ
山城だったからな


64
>>35
水害はともかく、火山の噴火や地震による土砂崩れで丸ごと消失はあるみたい。
磐梯山の噴火とか、天正地震とか。

帰雲城の消失とか、それなりに有名。


43
まぁ人が消えるとかじゃなくて、別人になってたみたいのもあるし・・


80
へえーこれは面白い
アンビバあたりで特集してくれよ


111
病気じゃないよ家に火をつけ焼きころしたんだわ
だからこそ祟りを恐れてる


164
抗生物質が無いから、病人が増えて村落が不衛生になっただけで全滅もあり得る時代だよな
現代のありがたみを感じる


176
滅んだ村人の怨念じゃないだろうけどこういう逸話は好き


210
こういう話は興味深く、面白い。
ここ出身の末裔など今も生存して
いるのだろうか。


228
>>210
明治になってから村消滅してるわけだし
神戸あたりの近代服飾産業に吸収されて行ったんじゃないかな


217
村おこしで供養を兼ねた祭りでもやれば良いのに


229
>消え去った村「夙(しゅく)」

もう字が怖い






引用: 【地域】江戸時代に忽然と地図から姿を消した村。祟りを恐れ今も墓参りを続ける近隣住人たち。兵庫県篠山市