1: 2015/01/29(木) 22:24:42.82 ID:daIN8xq+0.net

永遠性を獲得した人生において「死後の世界」を問い直す
第2回ハヤカワSFコンテストの大賞受賞作。高度に発達した情報技術をアイデアに用い、人間の意識のありようにアプローチした力作だ。
その展開は、グレッグ・イーガンに代表される現代SFのトレンドにつらなる。その一方で、我が身の問題としての死を主題化する姿勢は、 小松左京に近い。柴田勝家自身はそういう言葉を使ってはいないが、これは「実存」に関わる小説だ。
作品の構成は複雑で、《贈与》《転写》《弑殺》《蓄積》の各パートが交互に語られていく。この四つの物語で登場人物が重なっているらしいのだが、ひとりの人間が別々の呼称を持っていたり、固有人名がはっきり示されていないパートもあって、判然としない。そもそも、それぞれのパートの時系列も途中までわからない。
因果のつらなりを推測していくミステリ的な趣向もあるのだが、この語りかたは、目先の仕掛けではなくテーマと深く関わっているのだろう。つまり、単線で一方向へ流れる時間ではなく、神話的な時間、もしくは人が生きる時間である。
それは物語構成だけにとどまらず、作中のガジェットとして端的に示される。《贈与》パートは、語り手であるイリアス・ノヴァク教授がミクロネシア経済連合体の島へ到着するところからはじまる。
〔主観時刻(タイムスケープ)によれば、今は二〇六九年の五月十三日であるという〕というのが、冒頭の文章だ。この叙述はちょっと奇異だ。ノヴァク教授の意識は晴明なので、客観時刻と違う主観時刻があるのはおかしい。
この違和感は、先へといくとさらに拡大する。この主観時刻のなかでは、これから起きることがいままで起きたことと同じように感じられるのだ。教授は現地ツアーガイドのヒロヤに出迎えられるが、教授は彼をすでに見知った相手と認識する。
http://snn.getnews.jp/archives/480261