おうまがタイムズ

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卑弥呼

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テレビ東京は1日、1月2日に放送予定の番組「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜きましておめでとう2018」で、既に発表していた卑弥呼の 墓との説がある奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳に隣接する池部分の放送を中止すると発表した。詳細は明らかにしていないが、
地元自治体の意見が影響したとみられる。

 この池での水抜きは、11月26日放送の「池の水ぜんぶ抜く大作戦5」内で予告された。桜井市はこの前に番組ディレクターに対し、
「ため池の掃除が主体であり、宝探しのような企画内容はやめてほしい」と伝えていたという。だが番組では「出るのはお宝か、
それとも未知なる生物か」「約1700年前のお宝が眠る!?」などと説明していた。

 26日の放送後、奈良県を通じて文化庁から市に問い合わせがあったり、市の教育委員から「宝探しのような企画に協力するのはどうか」
との声が寄せられたりした。1日、市はテレ東側に「協力できない」と伝えたという。テレ東が撮影に入る前だった。

 箸墓古墳のため池を管理する地区の区長の杉本義衛さん(69)によると、池の水抜きは毎年実施しているという。「古墳の価値を 広めるために番組に協力しようと思っていただけに残念だ。ただ、あの予告編を見れば、市が断るのも仕方がない」と話した。
(略)
http://www.asahi.com/articles/ASKD16Q85KD1UCVL02D.html



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日本の謎で『ダ・ヴィンチ・コード』
画像:Amazon.co.jpより

『ダ・ヴィンチ・コード』とは、2003年アメリカで出版されたダン・ブラウン著作の長編推理小説で映画化もされています。レオナルド・ダヴィンチの作品であるウィトルウィウス的人体図、モナ・リザ、岩窟の聖母マリア、最後の晩餐の謎に始まり、実はキリストには…といった世界を震撼させるような秘密を暴き話題になりました。日本でも歴史には様々な謎が存在しますが、みなさんには「これは怪しい」と思うような日本のミステリーはありますか――?(おうまがタイムズ) 
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高松塚の壁画にヤマト王権の秘密が・・・
高松塚の壁画の秘密

高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。
壁画は石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に存在し、切石の上に厚さ数ミリの漆喰を塗った上に描かれている。壁画の題材は人物像、日月、四方四神および星辰(星座)である。東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像が描かれている。男子・女子の群像はいずれも4人一組で、計16人の人物が描かれている
https://ja.wikipedia.org/wiki/高松塚古墳 



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卑弥呼は実在したのか

卑弥呼とは『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)のことです。情報が少ないことから実際に存在していた人物であるのか未だ謎に包まれています(おうまがタイムズ)

「魏志倭人伝」の卑弥呼
「魏志倭人伝」によると卑弥呼は邪馬台国に居住し(女王之所都)、鬼道で衆を惑わしていたという(事鬼道、能惑衆)。この鬼道や惑の意味には諸説あり正確な内容は不明。ただし中国の史書には、黎明期の中国道教のことを鬼道と記している例もある。
既に年長大であったが夫を持たず(年已長大、無夫壻)、弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治國)。王となってから後は、彼女を見た者は少なく(自爲王以來、少有見者)、ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた(唯有男子一人、給飲食、傳辭出入)。宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた(居處宮室・樓觀、城柵嚴設)。
卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩(この時代の中国の百歩は日本の二百歩に相当する)もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/卑弥呼 



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侍女1000人を従え、民衆には姿を見せない卑弥呼の生活

『魏志』倭人伝の中で、倭国の女王として記されている卑弥呼。邪馬台国に居住し、30ほどの国を治めていたという。
しかしその正体は実に多くの謎に包まれている。女王としての素顔と人物像を紐解く。

■女王・卑弥呼の人間像と生活とは?

 卑弥呼は女王になってからというもの人々と接することがほとんどなく、高殿(たかどの)を持った宮室に住んでいた。
宮室の周囲は城壁や木の柵で厳重に守られていて、兵士がガードにあたっていた。

 生活の様子はというと、婢1000人が卑弥呼にはべっていた。男子は1人のみ出入りが許されていて、飲食物を運んだり、
卑弥呼の言葉を人々に伝えたりしていた。さらに「男弟」がいて、クニの政治を治めるのを助けていた。

 『魏志』倭人伝からうかがうことのできる卑弥呼の暮らしぶりであるが、情報量があまりにも少なすぎることは否めない。
しかし、想像をたくましくするならば、卑弥呼は邪馬台国にいるというのであるから、邪馬台国の王族の1人ではなかろうか。
また、弟がいて政治を助けているのであるから、いわば卑弥呼が宗教王、そして、弟が宗教王の意を介して政治を執る政治王とみることができよう。
弟は、邪馬台国の男王であったと思われるが、同時に30ほどのクニの集合体である邪馬台国連合の中においても、
女王の卑弥呼の政治を助ける役割を果たしていたのかもしれない。
両者を宗教王・政治王という位置づけにしたが、いうまでもなく専制君主といった強力なものではなく、30のクニの王たちによって共立された存在であった。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160623-00001850-besttimes-life



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